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初冬の江戸時代の風情を残す佃島周辺を歩く‼️

前からジックリ行ってみたいと思っていた、江戸時代の埋め立てした土地「佃島」を散策した。門前仲町駅から大横川を渡り、左側に明治丸を観ながら、相生橋の中の島公園を過ぎると佃島である。東西線、大江戸線の門前仲町駅から徒歩で15分程度で着く。徳川家康が大阪の佃村から漁民を呼び寄せたのが佃島の始まり。佃煮の発祥の地でもある。今は、高層マンションが立ち並んでいて当時とは、だいぶ変わっているがその変貌ぶりに驚いた。ぜひ、ヨリミチをオススメします。

 

徳川家康が大阪から招聘した漁師の島「佃島」

「佃煮」発祥の地である「佃島」

佃島とは

東京都中央区南東部、隅田(すみだ)川左岸にある旧地区名。隅田川が晴海(はるみ)運河とよぶ支流と分かれる河口の三角州からなる島であったが、その後の埋立てで、北の石川島、南の月島と地続きになった。現在の佃1丁目にあたり、石川島は佃1~2丁目にあたる。かつて名もなき小島であったが、江戸初期、徳川家康との縁故によって、摂津(大阪府)西成郡佃村の名主孫右衛門(まごえもん)が漁夫30余名を連れて移住し、郷里の名を島名とした。将軍家献上のシラウオや諸侯に納めた魚類の残りの雑魚(ざこ)を味つけして煮つめたのが佃煮で、江戸名物として現在に至っている。1646年(正保3)大坂の住吉大社の分霊を祀(まつ)る住吉神社が建立され、祭りの際の佃囃子(ばやし)は江戸三大囃子の一つとされた。漁師町は幾多の災害を免れ、江戸の情緒を今日まで伝えている。対岸の明石町(あかしちょう)との間の佃の渡しは、最後の隅田川の渡しとして1964年(昭和39)まで続いたが、佃大橋の完成で廃止された。

 

中央区街角展示館地図

今回、下記の地図を参考に散策

 

ユリカモメ

パリ広場から中央大橋をみる

中央大橋

パリ市から送られた
ブロンズ像にも注目

1993年に竣工したケーブルが美しい斜張橋しゃちょうきょう。中程には隅田川とパリ・セーヌ川の友好を記念した彫刻像があります。

パリ広場

石畳の円形の広場は
日仏友好の証

石川島公園内の北端にあるパリ広場は、日仏友好記念として1999年に整備されたもの。日仏の児童が制作に参加したモニュメントもあります。

石川島公園

中央大橋から相生橋の先までの細長い公園である。中央大橋の側は佃公園であり、隅田川テラスで繋がっている。大川端リバーシティ21の一部として1986年昭和61年)に都市計画が決定し1988年より工事が始まり2年後に部分的に完成した。“石川島”は佃二丁目の江戸時代からの旧名で、この地を領した石川家(横浜市戸塚区本貫)の名に由来し、この地に設立された造船所を起源とするIHIの旧社名「石川島播磨重工業」と同様の命名である。

隅田川テラスから中央大橋をみる。東京スカイツリーが真ん中に入っている。

石川島燈台跡

常夜灯があった場所に
今はモニュメントが

1866年石川島人足にんそく寄場よせば(無宿人の厚生施設)の奉行が、船のための常夜灯として六角二層の燈台を築かせました。

人足寄場(にんそくよせば)

1790年(寛政2)江戸幕府が,増加する無宿,浮浪者に対して授産・更生の道をひらくと同時に,江戸市中から無宿者を一掃して治安の向上をはかることを目的として開設した一種の保安処分の施設。のち実質上,近代的自由刑の原初的形態たる性格をもつに至った。 老中松平定信が,1780年(安永9)ごろ数年間のみ存在した南町奉行所の無宿養育所の先例などをヒントに,無宿収容施設の開設を発案し,これに対して火付盗賊改長谷川平蔵宣以(のぶため)がみずから実施を申し出,両者の間で具体案が練られたのち,平蔵が創設の業務にあたった。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

富嶽三十六景 東都佃沖

富嶽36景、東都佃沖

Fuji_4 佃島は、『江戸名所図会』(1-p197)によれば、「鉄炮洲に傍ひたる孤島をいふ」とあって、徳川家康が上方に在する頃、摂州佃村の漁船を度々利用したことが機縁となり、開幕後、その島民を呼び寄せ、(白魚)漁の権利を与え、鉄炮洲の干潟を授けたことがその命名の由来と解説されています。本作品は、その佃島沖の干潟地帯から西方に富士を眺望する図です。『江戸名所図会』の図版「佃島住吉明神社」(1-p192、p193)では、富士らしき山はかなり小さく描かれています。江戸百「佃しま住吉の祭」は、『江戸名所図会』の画題に従ったのか、住吉祭に焦点が当てられています。ただし、その時点で、『冨士三十六景』の構想があったとすれば、意図的に富士眺望部分を避けたとも考えられます。なお、同「佃しま住吉の祭」は、画題の住吉祭が老中筆頭であった阿部正弘の死による鳴物停止の時期と重なっていて、忌日明けの神輿風景を敢えて描いている点に、阿部の死を読み取ることができる大変興味深い作品です。ところで、広重『絵本江戸土産』第2編に「佃白魚網夜景」と題する作品があります。上述の佃島の由来からすれば、白魚漁の情景を描くことの方が自然かもしれません。その白魚漁については、江戸百「永代橋佃しま」に採り上げられています。

隅田川テラス

隅田川沿いのテラスは
のんびり歩きにぴったり

佃公園内の隅田川テラスは夜景スポットや桜の名所としても有名。川を行く水上バスの姿や都心の眺めを楽しみながらのお散歩がおすすめ。

住吉神社

水盤舎すいばんしゃ、陶製扁額へんがくなど区の有形文化財も多数

1646年大阪の住吉神社(現・田蓑神社)の分霊を移して創建。3年に1度の本祭りでは八角神輿みこし船渡御ふなとぎょも行われます。

鰹塚

立派な塚である。昭和28年5月に東京鰹節類卸商業協同組合によって建立された。昭和29年11月5日に除幕式があったようである(日本養殖新聞)。 鰹節業界のPR策の一面もあったということだが、慰霊碑の設置がPRになる日本人の動物観は興味深い。

  

東京下町 八社福参りコース

住吉神社

天正年間(15731592年)、徳川家康上洛し、摂津国西成郡佃村(現・大阪市西淀川区)にある住吉神社(改称の経緯:田蓑神社→田蓑姫神社→住吉神社→田蓑神社)に参詣した際、佃村および近隣の大和田村(現在の西淀川区大和田付近)の漁民神崎川渡し船を出して家康一行を運び、白魚などを献上した。これを機縁として、以後、両村の漁民は家康から西国海上隠密の用を受けたり、大坂の役の際には軍船や魚の調達をするなどした。また、家康は両村の漁民に対し、恩賞として全国での漁業権を与えた。

天正18年8月1日1590年8月30日)、徳川家康関東下降の際、先述の佃村および大和田村の漁夫33人と神主・平岡権大夫好次が江戸に移り、正保2年(1645年)には江戸鉄砲洲向かいにある百(約180m)四方の干潟幕府から下賜された漁夫らがこれを埋め立てて築島し、永住することになった。この島を故郷の摂津国佃村にちなんで「」(島は「佃嶋」、村は「佃村」)と命名し、正保3年6月29日1646年8月10日)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊住吉三神)とともに祀るべく、住吉神社が創建された。

 

 

安政6年創業のつくだ煮「丸久」

佃島渡船場跡

佃島埋め立て後から
約320年続いた渡し

佃の渡しは佃島造成の翌年から島民が運営、明治時代には運賃から「五厘の渡し」と呼ばれました。1964年佃大橋が完成したため廃止に。

佃島、築地本願寺門徒による佃島埋め立て

佃まちかど展示館

圧倒される大きさの千貫神輿は必見!

隅田川の河口に位置した佃は、いまだに江戸情緒を残すレトロな町として人気の地域です。町のシンボルである朱色の欄干の佃小橋を渡ると、道幅が一段と広くなっています。これは古い形式の盆踊りで東京都の無形文化財に登録されている毎年夏におこなわれる盆踊りが行われる場所。その通りの突き当たりに『佃まちかど展示館』はあります。展示されているのは、千貫神輿。文政年間の作といわれる二対の獅子頭「龍虎」と「黒駒」。240年前の複製古地図。また佃例祭、盆踊り、佃町並みの写真など。この地域の歴史・文化資料、伝統工芸品、伝統行事などで使用されるものがガラス越しに見られ、佃に住む人々の地域文化に対する愛着や誇りが伝わってきます。

天保8年創業の、つくだ煮「天安」

佃煮の由来

佃煮発祥の地は、なんと東京!

歴史をさかのぼること400余年。
江戸の佃島(現在の東京都中央区)の漁民が、江戸前で捕った小魚や貝類を甘辛く煮て食べていました。
当時、冷蔵庫なんてものはもちろんありません。
佃島漁民が、売り物にならない小魚等を保存もできる形で美味しく調理したのが「佃煮」という名前の由来。不漁の際の備蓄食品でもあったといいます。
これが、安価で日持ちもすると江戸中で評判を呼び、やがて全国に広まったのです。

徳川家康の特別待遇を受けた佃の人々

佃島の漁民の故郷は、実は関西の佃村(現在の大阪府西淀川区佃)。
かの徳川家康が江戸に入来の際、摂津の佃村に住んでいた漁民たちを江戸に呼び寄せ、特別の漁業権を与えました。
なぜ佃村の漁民か?なぜ特別待遇か?そこには大きな理由があります。
家康公が生涯忘れることのできない苦難に遭遇した際、こぞって公を助けたのが佃の漁民だったのです。

本能寺の変」が「佃煮」を生んだ!?

1582年6月2日早朝。明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で倒れた時、家康の一行はわずかな手勢とともに堺にいました。
見つかれば、信長の盟友である家康も当然標的です。
なんとしても岡崎城へもどらねば……家康一行は決死の覚悟で脱出奇策をとりました。
ところが神崎川(現在の大阪市住吉区)で足留めを食らいます。川を渡る舟が無かったからです。

ここに救世主のごとく現われたのが、近くの佃村の庄屋・森孫右衛門を筆頭とする漁民たち。
手持ちの漁船と、不漁の時にとかねてより備蓄していた大事な小魚煮を道中食として用意したのです。
気候の悪い時期に人里離れた山道や海路を必死に駆け抜けねばならない一行にとって、この小魚煮がどれだけ身を助けてくれたか、ありがたいものだったかは、言うまでもありません。
以来、佃村の人々に対する家康の信任は、特別なものになりました。
後の大阪の陣に備えて、佃村の漁民に大名屋敷の台所へ出入りできる特権を与え、大阪方の動向を探る隠密の役割をつとめさせたという言い伝えもあります。

佃小橋

佃を象徴する赤い小橋
初代は佃島完成時に架橋

1984年に架けられた今の橋は高層ビルとの対比が印象的。川底には住吉神社の本祭りで使われる大のぼりの柱が腐食防止のため埋められています。

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

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