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ジープ第2弾‼️自宅近くのジープ好き🚗Nさんと行った❗️千葉・芝山仁王尊の旅🚙

初めてジープに乗って、浅間台スポーツランドジムカーナコース見学の帰りに、芝山仁王尊に寄った。久しぶりの芝山仁王尊である。芝山仁王尊で有名であるが、お寺の名前は、天台宗観音教寺である。成田山新勝寺より遠く不便なところにあるので、参拝者は通常の月は少なく閑散としている。その反面、静かで雰囲気の良いお寺である。ヨリミチをオススメする🚘



町内会のジープ好きNさんと行った千葉・芝山仁王尊へのオヤジ旅

Nさんの愛車「ジープ」

芝山仁王尊はここが入口です。

境内案内図

天保十二年提出の分限帳添付の絵図面の控

明治二十六年、精観堂に依り製作された境内鳥瞰図である。

天保十二年提出の絵図面と対照すると、当寺の概要を知る事が出来る。

芝山仁王尊の歴史

 

名 称 天應山 観音教寺 福聚院(関東天台旧制伴頭拝領寺院)
宗 派 天台宗
本 尊 十一面観世音大菩薩
脇 士 芝山仁王尊

 
芝山仁王尊の歴史

当寺は比叡山延暦寺を御本山とする天台宗寺院で、正式名称を天應山観音教寺福聚院と称します。山号の天應山は創建が天應元年(781)と云われることに由来します。

1.藤原継縄の創建

日本年代記によれば、人皇第四十九代光仁天皇の宝亀十一年(780)正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建立せしめたとあります。丁度その時、征東大使として蝦夷平定の任にあった中納言藤原継縄朝臣がこの布令の下に当地に寺院を建立し、御本尊として奉持して来た十一面観世音大菩薩を奉安したのが、当寺の始まりであると伝えられております。

慈覚大師円仁による中興から現在まで

天長二年(825)、後に第三代天台座主となった慈覚大師円仁により中興され、次第に甍の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられます。その後、治承年間には千葉介平常胤の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、秀吉の小田原攻めの影響を受け、当山も全山灰土と化したと伝えられます。
やがて江戸時代に入りますと、徳川幕府の庇護の下、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺として関東天台の中核をなす寺院となりました。特に火事泥棒除け・厄除けの仁王尊天として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の町火消が纏を先頭に競って参詣したと伝えられます。
現在でも有名な新門辰五郎の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日迄連綿として伝えられている事が分ります。



仁王門

現在のお堂は明治2年(1869)起工、明治4年3月4日上棟、明治7年48世全亮代に落慶、明治15年49世亮晄代に完成した総欅造り・お堂形式の建物で、実測は、五間五間半という壮大な建物です。お仁王様は、観音様のご門番として、一般には御門をくぐるときに拝めるのですが、当山のお仁王様は、畳の敷かれた堂内、内陣須弥壇の上にお祀りされている非常に珍しいお仁王様です。この理由は、お仁王様の霊験があまりにもあらたかであるので、観音様の化身と考えられ、仏様と同じように須弥壇の上お厨子の中にお祀りされるようになったと言い伝えられています。
火事・盗難除け、心願成就の御力を授けて下さいます。しばしば大火に見舞われた江戸の町では、町火消し衆の信仰を集め、「江戸の商家で仁王様のお姿を祀らないお店は無い」とまで云われました。江戸(東京)での出開帳や町火消しの総元締め新門辰五郎の石碑などがそれを物語ります。




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鴨居の上に見える木兎の彫刻





本堂

ご本尊十一面観世音大菩薩をお祀りするお堂です。
厄除け観音様として信仰を集めております。

享保6年の建立、実測は、五間四方濡縁付きの密教建築で、江戸中期の優美な建物です。元は現在の香炉辺りに建てられていましたが、参拝者の混雑を避けるために昭和54年に現在の場所に曳き上げました。
堂内には、狩野常光筆の天井画、夏枯れの松の伝説を表わす欄間、三葉葵の御紋を打った人天蓋、島村円哲の彫刻等多くの文化財が有ります。
比叡山延暦寺の根本中堂に倣い、元禄6年(1693)に薬師如来を招来しました。薬師瑠璃光如来は、東方浄瑠璃世界の教主であり、12の誓願を発せられて私達を安楽の国土に導き給うと云われます。左手に薬壷を持つ御像が多いので、巷間では病気を除く仏様と思われがちですが、実は薬壷の薬は心の病をも癒し、社会の歪みをも正し給う有難い仏様です。

狩野常光筆の天井画

影向の松の欄間





三重塔

寛政9年(1797)、当山42世秀暁代に再建を発願し、文化11年(1814)44世龍淵代素建、天保7年(1836)46世湛定代に九輪完成と、実に五代の住職40年に亘る大事業でした。軒廻りは、初重・二重共並行垂木ですが、三重は扇垂木で、屋根を大きく見せる工夫が為されております。昭和31年 7月13日に「千葉県指定有形文化財」に指定され、昭和46年 3月に1年4ヵ月をかけた修理工事を竣工しました。
三間四方、軒高は、初重4、60m、二重9、05m、三重13、28m、総高(側柱礎石より相輪宝珠上端まで)24、98mです。

黒龍大王神(己巳尊)

この祠は、黒龍大王神をお祀りしています。その昔、当山にかかった見世物小屋の大蛇が死んだ時、夢枕に立たれた龍神様より、この地に安置せよとのお告げを蒙った興行師が奉納した、大蛇の本地黒龍大王神(観音様のお使い)を奉安致しました。
神経痛や健康回復、事業の向上など信心の誠を尽くしてお願いすると、不思議なお力を頂戴すると御礼のお話をよくお聞きします。一人でも多くの方にそのお力を頂いて欲しいという御信者さんの発願により、黒龍大王神のお守りがお札場に用意されています。





不動堂

昭和29年、岐阜市の安田賢三氏が、子息の菩提を弔うために再建されたお堂で、ご本尊に安田家の守り本尊であった不動明王をお祀りしております。
安田氏のご子息が病に倒れ、「自分はもうこの世を離れねばならないが、不動明王の行かれる場所が決まる迄は離れられない」と言い出されたそうです。
そこで安田氏は、愛知県に住む稲荷信仰の行者野田末次郎氏に依頼をし、大神に伺を立てて頂いたところ「吾、上総国芝山より出しもの。疾く疾く行きて元の座に安置せよ」とお告げがあり、当寺に奉納されました。
その昔、行者さん達はよく御分身を携え修業に出ておられたので、57世現住職もこのお不動様もその御分身の一躰であろうと合点し、御奉納頂くことに致しました。その頃ご子息の容体が急変し、他界されました。不思議な縁の伝えられる御尊体です。

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

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