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江戸時代の成田山参拝客と「行徳船」🚤で賑わった行徳をヨリミチ‼️

昨年、「佐倉道を訪ねて」で、途中、葛飾八幡宮脇の市川市役所支所で、「文化の街かど回遊マップ」をいただいた。マップは、市川市を5地区に分けて編集してあった。今回ブログは、「行徳・妙典地区編」を参考にして歩いたものをアップした。江戸時代に塩の産地である行徳は、江戸へ運ぶために水運が発達した。本行徳と江戸を往復する船は「行徳船」と呼ばれ、人や物資の輸送に使われるようになった。成田山参拝客も利用するようになり大変、賑わっていたのかと再認識した。市川市だけではなく、まだまだ知らない土地をめぐりめぐり歩いて、今後も、ヨリミチしていきたいと思っている。



徳川家康が舟で東金、船橋に「鷹狩り」に向かう途中に下船して通った行徳の「権現道」は今も健在❗️

 

行徳新河岸から権現道界隈の地図

本日のコース

東西線行徳駅ー押切稲荷神社ー光林寺ーおかね塚ー清岸寺ー徳蔵寺ー常夜灯ー常夜灯公園ー本行徳排水機場ー浄閑寺ー圓頓寺ー妙覚寺ー妙頂寺ー長松禅寺ー妙応寺ー徳願寺ー行徳神輿ー東西線妙典駅

 

🐾本日のコースの大半は、神社、寺めぐり。徳川家康が鷹狩りの時に通った、権現道や寺町通りを中心に歩いた。江戸、小網町から本行徳まで舟できて、寺町を通り成田山新勝寺参り3泊4日目の旅は、今から思うと好奇心に満ち溢れた旅だったと思う。江戸名所図会をみると当時の行徳新河岸付近や笹屋うどんの賑わいがよくわる。江戸名所図会をみながら、成田道や行徳道を歩いてみてください🐾



スタート

東西線行徳駅下車。

出入口は一ヶ所で、降りて左側方面に向かいます🐾



行徳駅左前には、市川の散歩道、「行徳塩浜のみち」の案内板が設置されていました。今回は、左側、押切稲荷神社方面に向かいます🐾

押切稲荷神社⛩の由緒

 

押切稲荷神社の創建年代等は不詳ですが、現本尊は350年程前に鎮座していたものだといいます。

境内掲示による押切稲荷神社の由緒

仰も当押切鎮守稲荷神社本殿の御尊体は、十一面観世音菩薩で約八百五十年前、建久巳年三月京都三條仏師の祖先とも云う、鎌足義政(又は義継)が一刀三礼の作で、大和国長谷寺の御尊体の御写とし、御丈一尺二寸五分、御身巾三寸五分の船形光背で蓮華座の立造の御尊像なり。
当押切の地に鎮守する迄の間、種々な経緯が有り今から凡そ三百五拾有余年前に鎮座したが度々の津波等により本殿等が破壊し、御尊体は、葛飾の里鎌田邑の長寿院(註:江戸川区東瑞江豊田神社)に預けられており、押切稲荷神社総代が御尊体が空虚なるのを日夜遺憾に思い、大正二年十一月四日長寿院に返還を申し入れし、鎌田村議の結果、大正二年十二月十九日早朝返還が相成り氏子総代一同御船にて御迎えし本殿へ無事安置し現在に至る。(境内掲示より)

 

この神社は、境内掲示板により、津波等の災難を受けたが、当神社の総代による折衝により、現在の押切稲荷神社があると思う。神社⛩の手入れが行き届いていて、参拝しても気持が良い。彫刻は遠目でしか見えないが、精巧で素晴らしい🐾

推測だが、彫刻保護の為の防護柵ではないかと思う🐾

鳥居には、「明和6年(1769)龍集己丑二月吉日建立」と刻んである🐾



 



大江山鬼退治🐾

養老の滝🐾

 

光林寺(浄土宗)

開基】本堂
1532~1544の間
【開山】
縁蓮社三譽村了上人
【名称】
来迎山 摂取院 光林寺
【現住職】
第32世深譽省志
(大森省志)
【縁起】
蓮門精舎旧詞』によれば、下総国葛飾郡東葛西上今井にある浄興寺
(芝増上寺の末寺)の末寺で、縁蓮社三譽村了上人により建立された 
寛政3年8月6日暴風雨の際、大津波に襲われ倒壊

【本堂建立】
大正5年 第29世 瀧川霊瑞上人
(吉蓮社祥譽上人念阿無休霊瑞大和尚)
【客殿建立】
昭和48年 浄土宗開宗800年記念として第31世 雨宮靈明上人
(圓蓮社光譽上人心阿彰風靈明大和尚)
【本堂改修、客殿建替え】平成26年11月9日 本堂建立100周年事業として  
第32世 大森省志
【第21番札所 来迎山 光林寺】
「みほとけに 歩みをはこぶ 後の世は ひかる林の紫の雲」
仏師・溝井康朋作
【主庭】
庭師・朝倉彩芳作
【前庭】
湲水庭(かんすいてい)

(光林寺のHPから一部転載)



青空にくっきりと、この松の形が気に入った🐾

清岸寺

徳願寺不残和尚の弟子忠残上人が開山となり、慶長15年(1610)に創建したといいます。

千葉県浄土宗寺院誌」による清岸寺の縁起

往昔の当境内地は荒無不毛の地で、妖怪化生の出るような所であった。高齢(百歳)の忠残はこれを憂え、弟子の浄土宗総本山京智恩院住職・然譽了鑑上人に諮り、同寺末の念仏道場一宇を建立したと伝えられる。
開山忠残上人は、現在の市川市高谷の出身、同市内徳願寺開山不残和尚の弟子として出家、芝増上寺ならびに鴻巣勝願寺に学び、市川市香取源心寺二世となり、同寺在住四九年、寛文一一年(一六七一)清岸寺にて入寂(九七歳)(増上寺史料集)。(「千葉県浄土宗寺院誌」より)

おかね塚

寛文5年(1665)建立の阿弥陀石像がある。押切には古くから「おかね塚」の話が語り継がれてきた。

 話の概要は、押切の地が行徳の塩で栄えていた頃、押切の船着場には、製塩に使う燃料が上総から定期的に運ばれてきた。
 これら輸送船の船頭や人夫の中には停泊中に江戸吉原まで遊びに行く者もあり、その中のひとりが「かね」という遊女と親しくなって夫婦約束をするまでに至り、船頭との約束を堅く信じた「かね」は年季が明けるとすぐに押切に来て、上総から荷を運んで来る船頭に会えるのを楽しみに待った。
 しかし、船頭はいつになっても現れず、やがて「かね」は蓄えのお金を使い果たし、悲しみのため憔悴して、この地で亡くなった。
 これを聞いた吉原の遊女たち百余人は、「かね」の純情にうたれ、僅かばかりのお金を出しあい、供養のための碑を建てた。村人たちもこの薄幸な「かね」のため、花や線香を供えて供養したという。
 行徳の街が日増しに変わりゆく今日、たとえ遊女のかりそめの恋物語でも、語り伝えて供養してきた先祖の人たちの心を後世に残そうと、地元有志によって「行徳おかね塚の由来」を書いた碑が建立されている。

 実はこの石仏は、阿弥陀如来像を刻む寛文五年(1665)銘の庚申塔で、この石仏があるのは押切村と伊勢宿村の村境だそうです。「如等所業 右志者道俗願満足・・・」という願文が彫られています。





おかね塚の阿弥陀如来像🐾

徳蔵寺

関東山徳蔵寺は、行徳浦安三十三所観音札所の第18番と第19番札所にあたる寺院です。。第18番札所であった宝性寺が廃寺とり、徳願寺に併合されたからです。そのため境内には宝性寺の常夜灯や不動明王厨子も移され、徳蔵寺に安置されています。また、本堂には山号である関東山と書かれた提灯が掛けられています。関東山徳蔵寺は行徳不動と呼ばれ、江戸の昔から多くの人々に親しまれています。

関東山徳蔵寺

天正3年(1575)に建立された真言宗の寺院。
毎月28日には不動堂で護摩が行われ、8月28日には縁日が開かれる。
当山には享保16年(1731)の弘法大師、興教大師像をはじめ密教独特の仏像・仏画・曼荼羅、また中世根来版などの密教聖教、鉄眼版一切経等を所蔵するが度重なる津波等により歴史的資料は乏しい。

境内の宝篋印塔(安永3年・1774)には関ケ島の別称「六軒」が刻まれている。また「関ケ島村十九夜講」で使われていた鉦(天明元年・1781)が保管されており、この十九夜講との関わりか女性の供養の為に建てられた如意輪観音の石仏が多い。
昭和31年(1956)には関ケ島の宝性寺を合併。同寺から移された境内の常夜灯(天保2年・1831)および本堂安置の不動明王厨子(天保6年・1835)には、かつて行徳街道にあった旅籠十二軒のうちの一つ「淡雪楼」の名が見える。なお常夜灯には安政の大地震の様子が記されている。

関東山徳蔵寺門前案内板より

出典・抜粋・引用および参考
関東山徳蔵寺門前案内板
市川市ホームページ

 

     

「江戸名所図会 七巻」の『行徳 塩竃之図(しおがまのず)』

行徳新河岸の賑わい①

行徳新河岸~新河岸の賑わい~
江戸時代の新河岸(現在地)は、船で往来する人や物資などで賑わう場所で、成田山につながる成田道の起点でもありました。江戸川・常夜灯を背にして、旧行徳街道までの間は、江戸名所図会にも描かれており、その様子がうかがえます。
この道筋には、まず番人が詰める施設と掟などが記された高札場や、旅人などが休憩した信楽などの旅館がありました。旅館信楽は、近江国信楽出身者が行徳に移住したことにちなむ呼称です。信楽から道(旧行徳街道)を挟んだ向かいの建物が「笹屋」と言われるうどん屋です。「笹屋」は、江戸時代の文学作品にも記され、源頼朝が訪れた伝承を残しています。
明治時代に入り、江戸川に蒸気船が運行されると、地元では「蒸気河岸」とも呼ばれるようになりました。「蒸気河岸」の発着場として新河岸界隈は多くの人々で賑わっていました。



常夜灯公園内案内板より (一部割愛)

抜粋・引用および参考
常夜灯公園内案内板
市川市ホームページ
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫

常夜灯

成田山参詣が盛んになり、常夜灯
のある新河岸の船着場は賑わいを
極め、文化9年には江戸日本橋西
河岸と蔵屋敷の講中が行路の安全
を祈願してこの常夜灯を新勝寺に
奉納したという。

常夜灯の説明板

行徳船場 「江戸名所図会」巻之七

行徳新河岸の賑わい②

1泊2日の成田詣では、江戸時代非常に流行しました。その理由として、成田山新勝寺の御利益もそうですが、道が平坦であり、何よりも、行徳まで舟で行けたことです。

江戸と佐倉藩城下🏯をむすぶ道を佐倉道と呼んだ。佐倉の北東12kmあまりのところに成田山新勝寺がある。
江戸時代後期に成田詣が盛んになるにつれて佐倉道は成田道(街道)と呼ばれるようになった。

経路は、江戸日本橋小網町から行徳船と呼ばれる舟に乗り、行徳河岸で下り船橋へ出るのが一般的でした。
小網町から出る行徳船は、一日に60艘を超える時もあるくらいに繁盛した。

絵を見ると、河岸に新河岸と書いてあるのが見える。
今、着いたばかりの舟と見えて、舟の上で背伸びをして人もいる。
荷物を積んだ船、客の乗船を持ってる舟、これから出る舟など、賑わいが良く判る光景が描かれています。

上陸すると、左手に高札場が有り、その近くに見張小屋が有ります。
2、3人居ます。

右手は、馬がいるので馬🐎に飼い葉を与えたり、繋いだりするところみたいです。
荷物を下ろしている馬や、往来にも馬🐴がいます。
江戸で有名な「笹屋饂飩店」の前では、馬が何に驚いたのか、飛び跳ねて、荷物を振り落しています。笹屋のうどんは、味の良さで知られた店です。その前の店は、料亭でしょうか。軒に提灯が下がっています。

就航する船は最初16隻ほどだったが、1671年 (寛文 元年)に53隻、
1848年 から1853年 (嘉永 年間)にかけては62隻に増加し、
毎日午前6時から午後6時まで江戸と行徳の間を往来した。
ふつう船頭 ひとりが漕ぎ手となり、24人乗りの客船で、
旅客 や野菜 や魚介類 のほか日用品 などの輸送を行った。

ウィキペデアより転載



旧江戸川 対岸は東京都江戸川区

旧江戸川下流方面をみる

常夜灯公園



常夜灯公園の案内板

茶店にあった明治後期の、新河岸周辺の街並み地図🐾

旧本州製紙江戸川工場🏭(現在、王子製紙)

常夜灯公園の土手堤散策は気持ちが良かった🐾

常夜灯公園にある茶店、愛想のいい「おばはん」に、おしるこを勧められた。美味しかった。他に、けんちん汁といなり寿司も美味しい🐾

本行徳排水機場(市川市本行徳)

旧江戸川にそった本行徳の範囲の、ちょうど中間付近にある排水機場です。そばに本行徳水門があります。ここから行徳街道に出ると、ちょうど行徳三丁目のバス停のところに出ます。
さすがにかつての行徳の中心部だけあって、排水機場も新井、欠真間と同規模の大きなものです。また、名称を堂々と建物に掲げているのもここぐらいです。

色あせた機場説明板



本行徳水門

飯澤山浄閑寺

飯澤山浄閑寺 由来・いわれ
当山は東京・芝、浄土宗大本山増上寺の末寺である。
現在、寺領地になっている土地には、元亀(1570~1573)年中より当地の武士何某の信仰する観音堂があり、その添地であったところに、寛永3寅年(1626)、西蓮社鎮譽一公上人が開基された。
爾来、今日に至るまでには、火災・津波等災害に会うこと両三度の記録があり、大いに荒廃した時期もあったが、よく檀信徒の協力により復興し、昭和63年には本堂をそれまでの木造から鉄筋コンクリート造へと改築し現在に至っている。

飯澤山浄閑寺 歳時・みどころ
門前に、「六地蔵」と、「南無阿弥陀仏」及び六面それぞれ「天道」「人道」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」が掘られた「六面塔」がある。これは、畜生が業によって生死を繰り返す六つの世界すなわち全ての世界の諸精霊を供養し仏の加護を願うものである。
また、行徳ではめずらしい寺領地としての参道があり、行徳街道より本堂向拝まで一筋の敷石でつなげられている。

飯澤山浄閑寺門前案内板より

出典・抜粋・引用および参考
飯澤山浄閑寺前案内板
市川市ホームページ

六地蔵

六面塔

浄閑寺、本堂

宝永5年 (1708)戊子の南無阿弥陀仏

行徳道から寺領地のみの長い参道の、浄閑寺🐾

海近山圓頓寺

海近山圓頓寺 由来・いわれ
天正12年(1584年)、日蓮宗中山法華経寺歴世である日通上人の弟子、寂静院日圓上人の御開創である。
明治14年(1881年)行徳町の大火事により本堂・庫裡が焼失し、現在の山門のみ残った。
現在の本堂は昭和55年に建立されたものである。

海近山圓頓寺 歳時・みどころ
本堂正面入口上にある金文字の海近山の山号額は、幕末の三筆といわれた江戸末期の書家「市河米庵の筆」によるものである。
無縁塔横に安置されている板碑は石造の塔婆の一種で、鎌倉・室町時代に多く造られたものである。
春に先がけて咲く本堂前の「しだれ桜」は身延山久遠寺より株分けされたものであり、盛観である。



海近山圓頓寺門前案内板より

出典・抜粋・引用および参考
海近山圓頓寺門前案内板
改訂新版 市川のむかし話
市川市ホームページ

 



山号額は、幕末の三筆といわれた江戸末期の書家「市河米庵の筆」によるもの

圓頓寺、本堂

正覚山妙覚寺

 

正覚山妙覚寺 由来・いわれ
日蓮宗中山法華経寺の末寺であり、天正14年(1586年)に創建され、山号は正覚山、開基は心了院日通上人である。

正覚山妙覚寺 歳時・みどころ
境内には東日本では大変めずらしい、キリシタン信仰の遺物であり、房総にただ一基の「キリシタン燈籠(とうろう)」がある。
燈籠の中央下部に舟形の窪み彫りがあり、中にマントを着たバテレン(神父)が靴をはいた姿が彫刻されている。(靴の部分は地中に埋められている)
戦国時代の大名古田織部の創案であったといわれ、別名織部燈籠(おりべとうろう)という。

正覚山妙覚寺門前案内板より

出典・抜粋・引用および参考
正覚山妙覚寺門前案内板
キリシタン燈籠脇掲示解説案内記事
市川市ホームページ

キリシタン燈籠

燈籠の中央下部に舟形の窪み彫りがあり、中にマントを着たバテレン(神父)が靴をはいた姿が彫刻されている。(靴の部分は地中に埋められている)

法泉寺ー墓地のみ、本堂等なし

寺町通り

真光山妙頂寺

 

真光山妙頂寺 由来・いわれ
山号を真光山といい、日蓮聖人生存中の弘安元年(1278年)日妙上人により創建され永禄4年(1561年)日忍上人により、現在地に移される。

真光山妙頂寺 歳時・みどころ
境内には寺子屋の往時を偲ばせる筆小塚があり、樹齢二百年の古木の百日紅(さるすべり)が毎年夏に紅色の花を咲かせ、寺の歴史を刻んでいる。
寺宝には、釈迦涅槃絵図(畳十畳)、下総板碑(貞治6年・1367年)がある。
また、本堂内部の彫刻は一見の価値がある。



真光山妙頂寺門前案内板より

出典・抜粋・引用および参考
真光山妙頂寺門前案内板
市川市ホームページ

妙頂寺

徳川家康が鷹狩のさいに通った行徳権現道の北詰正面、寺町通り沿いに真光山妙頂寺があります。創建は日蓮宗開祖日蓮聖人生存中の鎌倉時代に遡る歴史ある古刹です。寺町通り、いや行徳で一番古く(ただし、現在地には桶狭間の合戦の翌年の永禄4年に移されたそうです)、寺町通りの歴史を今に伝えるお寺です。夏には樹齢200年のさるすべり古木に咲く紅色の花が青空に映え、本堂に彩りを添えます。

長松禅寺

長松寺は山号を塩場山(エンジョウザン)という。京都紫野大徳寺の末寺で、渓山和尚により天文年間(1532-1555年)に開山された。正確な年は不明であるが、渓山和尚の寂年が天文二十三年(1554年)であることから、それ以前の開山であることがうかがえる。
開基は小田原北条家家臣・松原淡路守重之である。淡路守は千葉県市川市行徳・大和田・平田あたりまでの領主であったという。
当時の行徳一帯は塩場(塩田)であり、山号はこれに由来する。境内には薬師如来・塩釜明神を祀り、塩焼き百姓たちの信仰を集めていたという。
元文五年(1740年)に書かれた資料によると境内地は四反二畝十六歩。末寺は四ヶ寺あり、今日の千葉県船橋市丸山町にも存在した。
行徳札所三十三ヶ寺の三番であり、巡礼の始まりは元禄三年(1690年)とその歴史も古い。現在、長松寺には歴史的な資料は残されていないが(塩釜明神も現存せず)、最近スコットランド王立博物館に当寺より流出した鋳物の仏像が展示されていることが判明した。
江戸から明治に移る時代が、長松寺にとっても激動の時代であったことがうかがえる。

正国山妙応寺

正国山妙応寺 由来・いわれ
今から約450年前の永禄2年(1559年)、輪蔵院日忍上人により創建された。
中山法華経寺の末寺であり、本尊は釈迦如来である。

正国山妙応寺 歳時・みどころ
当寺は、行徳鬼子母神で知られる祈祷道場で、境内には水子供養観世音菩薩を安置している。
また、七福神を勧進し、一ヶ所で七福神参りができる。

◇七福神・・恵比寿天、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人

愛犬愛猫などペットのための犬猫納骨供養堂も設置されている。

正国山妙応寺門前案内板より

七福神の由来

七福神とは、大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・恵比寿天(えびすてん)・寿老人(じゅろうじん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・弁財天(べんざいてん)・布袋尊(ほていそん)の七つの神様のそうしょうである。金銀財宝を満載した宝船に乗った姿で描かれることの多い七福神だが、七福神をまとめて崇拝するようになったのは、室町時代の末期のころからである。大黒天や毘沙門天、弁財天といった仏法の守護者や民間信仰に根ざす恵比寿天など、雑多な福神を「七」の聖数にはめた七福神信仰が、民衆の生活の中に深く浸透したのは、現世における蓄財の観念が生まれてきたからであると推察される。特に商人社会では、福徳施与の神として崇められてきた。また、「七難即滅・七福即生」の説にあるように、七福神を崇拝する七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われている。

正国山妙応寺七福神前案内板より

市川七福神

1番 毘沙門天 国分寺(国分3-20-1)
2番 恵比須天 所願寺(宮久保4-12-3)
3番 大黒天 本将寺(大野町2-919-1)
4番 毘沙門天 淨光寺(大野町3-1917)
5番 福禄寿・寿老人 妙正寺(北方町4-2122)
6番 弁財天 中山奥之院(若宮2-21-1)
7番 布袋尊 安養寺(高谷2-16-35)
8番 一所七福神廻り 妙応寺(本行徳2-18)



出典・抜粋・引用および参考
正国山妙応寺門前案内板
正国山妙応寺七福神の碑
正国山妙応寺七福神前案内板
市川市ホームページ

行徳 徳願寺 江戸名所図会

徳願寺

この寺は、1600年(慶長5年)普光院として創建されたのに始まり、1610年(慶長15年)徳川家康の開基により円誉を開山として諸堂が建てられ徳願寺と号するようになったと伝えられる。1648年(慶安元年)には江戸幕府から朱印状が与えられている。1774年(安永4年)に建てられた山門(仁王門)に安置されている仁王像は、葛飾八幡宮(市川市八幡)の別当寺で明治初年の神仏分離により廃寺となった法漸寺からこの寺に移された像である。明治初期には1871年(明治4年)11月に設置された印旛県の県庁がこの寺に置かれたが、翌1872年(明治5年)1月には葛飾郡加村(現在流山市の一部)に移された。

本尊の阿弥陀如来像は、鎌倉時代初め、源頼朝の妻、北条政子が霊夢を見て、仏師運慶に命じて彫らせたものと言われています。政子の念持仏と言われています。徳川の「徳」と勝願寺の「願」の二字をとり、改めて徳願寺の名が付けられました。聡蓮社円誉不残上人を開山に創設されたものです。本尊の阿弥陀如来像は鎌倉時代をはじめ、源頼朝の妻、北条政子が霊夢をみて、仏師運慶に命じて彫らせたものです。政子の念持仏といわれています。



おすすめポイント
宮本武蔵の書と達磨絵
・閻魔大王像(運慶)
・幽霊の絵(円山応挙)・・・毎年11月16日のお十夜の日に限って一般公開

 

🐾徳願寺は、江戸名所図会にも描かれており、行徳道では、徳川家康が関わった唯一のお寺。当時を偲ばせる広大な敷地に配列されている建築物。昨年行った、佐倉道の葛飾八幡宮にあった仁王像がここに安置されている事が確認できた🐾

徳願寺 山門(さんもん)

徳願寺山門は、江戸時代の安永4年(1775)に建築されました。
楼門の形式としては正規な造り方で、大きさは桁行8.44メートル、梁間5.18メートルで中規模なものです。
構造形式は、ほとんど省略のない堂々としたもので、江戸時代中期の楼門の典型といえます。また、下総の地にありながら、江戸の彫師による本格的な彫刻が施されており、注目されます。

徳願寺 鐘楼(しょうろう)

徳願寺鐘楼は、山門と同じ江戸時代 安永4年(1775)ごろに建築されました。
鐘楼としては正規もので、大きさは2階で桁行4.02メートル、梁間3.2メートル、腰下部は7.47メートルと6.7メートルで、中規模の部類です。構造形式は、ほとんど省略のない典型的なものです。また、彫刻は山門と比較してやや彫りが深く、表現が誇張されており、彫師や年代が多少異なっていると思われます。

本堂

本堂は安政 3年(1856)に火災で焼失しており、現在の本堂は大正 5年(1916)に再建されたものである。尚、平成 3年(1990)には改修工事が行なわれている。

仁王像

山門(仁王門)に安置されている仁王像は、葛飾八幡宮(市川市八幡)の別当寺で明治初年の神仏分離により廃寺となった法漸寺からこの寺に移された像である。

行徳神輿

行徳神輿は、江戸時代から現在の市川市行徳地域では神輿づくりが盛んでした。その名は全国に「行徳神輿」として知られていました。「中台祐信」の雅号を持つ中台實さんはこの道一筋で四代目を受け継いでいます。「かつぐ人の身になった神輿」を信条に威風堂々の古くから伝わる行徳大唐破風神輿をはじめ各種の神輿を製造しています。また、江戸時代の文化(1804年~1817年)・文政(1818年~1829年)期の神輿の復元や修理にも力を注いでいます。

 





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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

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