開運招福 ⛩佐倉七福神めぐりをしてみませんか🎍

「佐倉七福神めぐり」を佐倉市在住でありながら、初めてめぐった。季節を問わず、個別にお寺めぐりで、どこにどのお寺がある事は分かっていたので、正月の佐倉七福神めぐり🎍も写真を撮りながら、道中に何があるのか楽しみながら歩いた。途中、佐倉十一万の城下町であった昔の名残りが随所にあり楽しい散策となった。ぜひ、ヨリミチをオススメする。
Contents
佐倉七福神めぐり🎍に初挑戦しました‼️
七福神をお参りすると七つの災難が除かれ、七つの幸福を授かるといわれています👼
佐倉七福神は、京成佐倉駅またはJR佐倉駅から徒歩1~2時間程度で巡ることができます。江戸時代に城下町として栄えた佐倉。七福神巡りルート付近には武家屋敷・旧堀田邸・佐倉順天堂記念館・佐倉城址公園など、当時の名残を感じることができる建物・史跡が多く残っています。
七福神巡りと一緒に散策してみてはいかがでしょう?
①毘沙門天 甚大寺
所在地(住所):千葉県佐倉市新町78
②弁財天 嶺南寺
所在地(住所):千葉県佐倉市新町74
③寿老人 宗円寺
所在地(住所):千葉県佐倉市新町89
④毘沙門天 松林寺
所在地(住所):千葉県佐倉市弥勒町93-1
⑤大黒天 妙隆寺
所在地(住所):千葉県佐倉市鏑木町188
⑥恵比寿・福禄寿 麻賀多神社
所在地(住所):千葉県佐倉市鏑木町933-1
⑦大黒天・布袋尊 大聖院
所在地(住所):千葉県佐倉市鏑木町661
佐倉七福神
七福神とは、福徳の神として信仰される七神、一般に大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊をいいます。 福神の信仰は古くからありましたが、室町時代以降に一般化し、江戸時代後半に特に盛んになりました。仏教の七難即滅七福即生の思想を受け、七福神をお参りすると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かるといわれております。
江戸時代、城下町として活気にあふれた佐倉は、歴史ロマン漂う史跡の多い町です。武家屋敷、順天堂記念館、旧堀田邸等も訪ねながら、ゆっくりとウオーキングを兼ねて七福神めぐりに出かけてみませんか。(佐倉は坂の町です。足に自信の無い方はJRルート、京成ルートとも、最初の寺社までは、バスの利用をおすすめします。地図はこちらをPDFファイル)
佐倉七福神の中には嶺南寺の一面八臂の弁財天や、大聖院の剣を持った大黒天(秘仏で公開していません)などのように大変目面しく貴重なご神体もあります。
元旦から10日までは拝観出来ない七福神像を拝むことが出来る寺もあります(秘仏を除く)。
御朱印も元旦から10日まで受け付けます。
又毎月10日も各寺社あるいは、手づくり工房さくら、甘味処いちおかで朱印の受付を行います。
甚大寺(じんだいじ)
千葉県佐倉市にある天台宗の寺院。山号は安城山。院号は不矜院。本尊は十一面観音。そのほか不動明王、金比羅権現などを祀り、毎月10日に金比羅権現の縁日が行われる。
毘沙門天(甚大寺)(松林寺)
インド出身の神様。仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、さらに金毘羅の別名もあり、招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。
甚大寺毘沙門天
◆安置場所:本堂内右側 御開扉:1月1日~10日及び毎月10日
◆御朱印所:寺務所(本堂右手奥)
堀田家墓所
堀田家は徳川譜代の大名で、幕府の要職をたびたび務め、11万石の所領があり、明治時代以降は伯爵に列せられた。正俊は寛永11年(1634)の生まれで、若年寄、老中を経て、天和元年(1681)には大老にまでなったが、江戸城内で刺殺されたことはよく知られている。その子孫、佐倉藩主堀田正睦は、寺社奉行、大坂城代老中となり、安政3年(1856)外国事務総裁として日本開国に貢献した。藩政でも、佐倉藩校を開くなど教育振興に努力している。正倫も父正睦の後を継ぎ、明治維新を迎えた後も佐倉藩知事となり、佐倉相済社の創設、堀田家農業試験場を開設するなど、幅広い業績を残している。
墓は、新町の甚大寺(じんだいじ)にある。正俊の墓は昭和11年(1936)に浅草の金蔵寺から移されたもので、墓石には「不矜院殿又新叢翁大居士」と刻まれている。また、正睦の墓石には「故佐倉城主侍従従位四位下紀文明公墓」と、正倫の墓石には「従二位勲三等伯爵紀正倫卿之墓」と刻まれている。
なお、堀田家墓地には各種植物が植栽されており、佐倉市の保存樹林の選定を受けている。
初代 堀田正俊の墓
九代 堀田正睦(まさよし)の墓
●寿老人 (宗圓寺)
中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。
◆安置場所:本堂内右側
◆1月1日~10日のみ御開扉:秘仏 写真展示(毎月10日)
●弁財天(嶺南寺)
唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となる。
◆安置場所:本堂内右側
◆1月1日~10日のみ御開扉:秘仏 写真展示(毎月10日)
佐倉七福神めぐりは、狭い路地を歩いていきます。
春に向けて、少しずつ芽吹いています。
●毘沙門天(甚大寺)(松林寺)
インド出身の神様。仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、さらに金毘羅の別名もあり、招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。
松林寺毘沙門天
◆安置場所:本堂内右側 御開扉はなし:秘仏
◆御朱印所:寺務所(本堂右隣り)
土井利勝父母夫人供養塔
弥勒町の玉宝山松林寺に3基の宝篋印塔があります。 土井利勝が養父、養母、正室の菩提を弔うために造立した供養塔です。
中央は養母土居利昌の室(葉佐田則勝の長女)の供養塔で、「玉等院殿清誉壽安大禅定尼」と刻まれています。 また、正面向かって左側は養父土居利昌の供養塔で、「宝光院殿本誉見貞大禅定門」と刻まれています。 正面向かって右側は正室の供養塔で、「清光院殿浄誉明徹大姉」と刻まれています。
〔昭和52年(1977)1月19日市指定史跡〕
妙隆寺
妙隆寺山門妙隆寺(みょうりゅうじ)は、千葉県佐倉市にある日蓮宗寺院です。
佐倉は城下町であり、現在も城跡は城址公園として自然あふれる姿をとどめています。宝永年間(1704~11)お寺が当地に移った頃から変わらぬ、城下町のつくりがそのまま残されており、敵の侵入を防ぐために作られたかぎ型の目抜き通りや多くの細い路地があります。現代の車社会では多少の不便もありますが、こうして見ると、なかなか趣深く感じられます。そんな町の中、「ここは森かな?」と思われる緑に囲まれた場所に妙隆寺はあります。
妙隆寺のジュウガツザクラ
●大黒天 (妙隆寺)(大聖院)
インド出身の神様。梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となった。
妙隆寺大黒天
大地を掌握する神様。五穀豊穣、福徳円満の神として信仰されています。(妙隆寺)
◆安置場所:本堂内 2尊安置 秘仏
◆御朱印所:寺務所
◆http://www.myoryuji.jp/
麻賀多神社⛩
当社は旧佐倉藩の総鎮守で、古くから「まかたさま」とこの地方の人々に親しまれ、崇敬されてきたお社です。
麻賀多神社という神社は、当社をはじめとしてこの佐倉市内に11社・隣接する酒々井町2社・成田市2社・富里市2社・八千代市1社を数えます。一見多く存在するようですが、これを全国的に見ますと他の地方には見られない、珍しい名前の神社で、印旛沼の東側から南にかけての地域にのみ存在する神社です。
しかしながら今から約1050年程前に完成した政令集「延喜式」の巻第九・下総国の項に、この「麻賀多神社」の社名が記載されており、当時すでに中央にまで知られていた神社である事がわかります。
その御鎮座は佐倉地方開闢の頃と云われており定かではありません。しかし社名については口伝によると以下のようになっております。
鎮座している千葉県は古来、麻の産地であり「総国・ふさのくに」の総は麻を表しております。その中にある印旛地方は下総国成立以前は印旛国であり、朝廷より国造(くにのみやつこ)が派遣されておりました。その国造に多一族の伊都許利命が就任してたとの記録が先代舊事本紀に記載されております。その国造が代々祀ってきたのが当社であり、「麻の国で多氏が賀す神の社」と訓読みすることが出来ます。鎮座地の「佐倉 」という地名も「麻の倉」が転じてと言われており、佐倉地方が古代物流の中心的地位を占めていたことが判ります。
時代が下がり、徳川時代になると神社の西方に土井利勝公が佐倉城を築き、その城主となってからは、当社はこの地方の氏神様であるばかりではなく、城の追手門近くに鎮座する神社なので、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として代々の城主・家臣に篤く崇敬され、社殿の度々の造営・神号額・神鏡・絵馬等の奉納が続きました。現在の社殿は天保14年、のちに幕府の老中首座を務めた藩主堀田正睦公が新たに建て替えたものです。尚、平成15年に氏子一同の奉賛により大修営が行われ、厳かに正遷座祭が斎行されました。
明治維新以降は佐倉城趾に陸軍連隊が配置され、県内各地から入隊した房総健児が武運長久を祈願しました。
先の大戦よりすでに久しく、現在は安産育児・家内安全・病気平癒などをお祈りする人々がいつの世に変わらず社前に見られ、樹齢800年以上の大銀杏をはじめ古木・大樹に囲まれた境内は氏子・崇敬者の憩いの場となっております。
お祭神
御祭神は我が国のもっとも古い書物・国史書である古事記には「和久産巣日神」、日本書紀には「稚産霊命」とみえるお名前の神様です。伊勢の神宮外宮の御祭神「豊受姫命」の御親神であられます。
お名前の「和久」・「稚」は、ともに若いとか幼いという意で、「産巣日」・「産霊」は形成する・完成するの意で、若い・幼いものを育てあげるという御神徳を表しておられ、人・万物・事業の生成・発展を見守って下さる神様です。 殊、恋愛成就・安産子育・健康守護・事業発展の御神徳をいただける神様です。
●恵比寿(須)(麻賀多神社)
日本の神様で、漁業、商売繁盛の神として、信仰されています。
日本古来の神様でご神名は小彦名命(疱瘡神社)。海の守護と商売繁盛、医療医薬、庶民救済の神として。崇敬されています。◆参拝場所:本殿左隣り(「なで恵比寿」安置) 通年参詣可
◆御朱印所:社務所(境内左側)
●福禄寿 (麻賀多神社)
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。◆参拝場所:本殿右隣り三峯神社脇 通年参詣可
◆御朱印所:社務所(境内左側)
武家屋敷通り
ひよどり坂
佐倉は坂の街です。裏道のいたるところにあります。ここ「ひよどり坂」
佐倉サムライの小径、ひよどり坂
●大黒天 (妙隆寺)(大聖院)
インド出身の神様。梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となった。
大聖院大黒天
利剣と財福袋を持つお姿で七福即生・七難即滅の神として信仰されています。(大聖院)
◆安置場所:本堂内 御開扉はなし:秘仏 お札有り
◆御朱印所:寺務所(本堂左隣寺務所)
●布袋尊 (大聖院)
笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくるといわれています。
◆安置場所:境内寺務所前 通年参詣可
◆御朱印所:寺務所(本堂左隣寺務所)
佐倉七福神めぐり、アクセス
佐倉七福神めぐりは、福徳の神として信仰される七神(大黒天、恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊)をいいます。信仰は室町時代から一般化し江戸時代後半に盛んになりました。仏教の七難即滅七福即生の思想を受け七福神をお参りすると七つの災難が除かれ七つの幸福がさずかるといわれております。佐倉市内を散策しながら甚大寺(毘沙門天)・嶺南寺(弁財天)・宗圓寺(寿老人)・松林寺(毘沙門天)・妙隆寺(大黒天)・麻賀多神社(福禄寿)、(恵比寿)・大聖院(布袋尊)、(大黒天)の七福神めぐりを楽しむことができます。
おすすめポイント
ゆっくり、ウォーキングを兼ねて楽しめます。各寺社により、様々な変化があり親しめます。
基本情報
所在地
千葉県 佐倉市 新町
定休日/休業日
無休(寺院):毎週月曜日、火曜日(祝日の場合は翌日)
寺社不在の場合、手づくり工房さくら、甘味処いちおかで代わりに御朱印いたします。なお、正月および毎月10日以外は、寺社で対応できない場合がありますのでご了承ください。
交通アクセス
電車で行く
JR総武本線佐倉駅・京成電鉄佐倉駅下車
お問い合わせ
名称
佐倉商工会議所
電話番号
043-486-6117
この情報は2015年10月6日現在の情報となります。