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日蓮大聖人が最初に教えを説いた、日蓮宗 大本山 中山法華経寺をヨリミチ‼️

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佐倉市志津公民館主催の佐倉学の一環「佐倉道を歩いて」講座で、途中、中山の日蓮宗大本山、法華経寺に立ち寄った。ここは、成田山新勝寺と違って、派手さはないが、国宝級の文化財がたくさんあり、見所満載のお寺である。日蓮聖人が初めての修行の場として教えを説いた寺、歴史の重みと格式をが感じられるお寺。ぜひ、ヨリミチをオススメします。

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日蓮宗 大本山 中山法華経寺

江戸三大鬼子母神の一つ

日蓮宗寺院の法華経寺は、正中山と号し、日蓮宗の六大本山の一つです。法華経寺は、文永11年に太田乗明の居館に創建した本妙寺(日高上人)と、若宮領主の富木胤継(日常上人)の居館に創建した法華寺とを合寺して、永享3年(1431)頃に法華経寺と改称したといいます。江戸時代には寺領50石1斗餘の御朱印状を拝領した日蓮宗の大本山で、江戸三大鬼子母神の一だといいます。



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法華経寺の参道

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大本山 正中山法華経寺 黒門 附扁額 市川市指定有形文化財

 

中山法華経寺の総門は黒門とも呼ばれ、京成中山駅に続く参道入り口にあります。下総中山駅、京成中山駅から参拝される方が、一番初めに通る門です。
 この門は法華経寺の総門で、全体が墨塗りとなっているため黒門と呼ばれています。建立年代は明確ではありませんが、赤門(仁王門)の創建と同じ、江戸時代の初期頃と考えられます。
 門の形式は高麗門と呼ばれる形式で、四角の本柱二本と丸い控柱二本で構成され、本柱の上には細長い切妻屋根を掛け、本柱と控柱の間にも一段下げて直角に切妻屋根を掛けます。もともと高麗門は城郭の外門に設けられたので板扉がつけられますが、黒門は門扉が付いた痕がなく、当初から吹き通しのもんでした。
 建立後、度々の修理が行われましたが、これは控柱が掘立で五十年程度での取替えが必要なこと、屋根吹替えや塗装が主なる修理内容です。本柱など本体構造はは当初の状態で残っています。
 なお、正面中央に掛かる扁額は掛川城主太田資順の筆で、裏面に寛政五年(1793)の刻銘があり、門の附指定です。全体の彩色が施され、文字は浮き彫りになっています。

如来滅後
閣浮堤内
本化菩薩
初轉法輪
法華道場

 平成二十一年七月より十七か月を要して解体修理を施し、基礎を新たにコンクリート像に改め、控柱を取替えて従来の掘立柱を継承した。また、屋根の銅板を葺替えたほか、腐朽していた木鼻等を取替えて塗装を塗り替えた。併せて扁額の修理も施した。
平成二十二年十一月
大本山法華経寺
市川市教育委員会

太田資順 太田氏の沿革

性は清和源氏、源頼政の子国綱が丹波国桑田郡太田郷に住し、その子資国が太田氏を称したことに始まるという。 相模国に移住し、資国の子資清が扇谷上杉氏に仕え、武蔵河越城に拠った。 資清は扇谷上杉氏の家宰と相模守護代を兼ね、1455年の享徳の乱では上杉顕房を守って足利成氏と抗争。 その子資長(道灌)は武蔵江戸城などを築き、1476年の長尾景春の乱を平定するなど声望を高めるが、文明18年(1486)主君上杉定正に謀殺され、一族が分裂する。 道灌の実子資康を当主とする嫡流は江戸城を本拠に江戸太田氏を称し、1524年に資高は江戸城を明け渡して北条氏に服するが、1564年に康資は北条氏と対立、敗北し没落。 その後、道灌の子孫は、北条、里見、佐竹の諸氏に仕えた。のち徳川家康に仕え、明治になって子爵に叙せられた。遠江掛川(静岡県掛川市)藩主太田氏はその子孫であるという。
法華経寺黒門扁額を書した太田資順は掛川太田氏3代目当主。宝暦12年(1762年)~ 文化5年10月7日(1808年11月24日))。第2代藩主・太田資愛の次男。母は側室と言われている。正室は丹羽高庸の娘。継室は本多忠可の娘。子に娘(永井直与正室)。官位は従五位下、摂津守。明和元年(1764年)12月20日生まれともされる。
幼名は正之助。天明5年(1785年)に長兄の太田資武が早世したため、世子に選ばれた。文化2年(1805年)の父の死去により跡を継ぎ、翌年には奏者番となった。しかし3年後の文化5年(1808年)10月7日(または10月11日)に47歳で死去し、跡を弟で養嗣子の資言が継いだ。法号は道栄日感大悟院。墓所は静岡県三島市の妙法華寺。

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大本山 正中山法華経寺 仁王門

仁王門、赤門又は山門。仁王門に掲げられている「正中山」の扁額は本阿弥光悦筆。市川市指定の文化財です。 仁王門をくぐり抜けた境内参道両脇に桜の木々が並び、春には多くの参拝者が訪れます。

本阿弥光悦と仁王門扁額

本阿弥光悦 永禄元年~寛永14年(1558~1637)
安土桃山時代から江戸時代初期の芸術家。京都の人。
刀剣鑑定の名家、本阿弥家分家、本阿弥光二の長男。通称は次郎三郎、のち光悦。号は自得斎、徳有斎、太虚庵。
家業の刀剣研磨、鑑定はもちろん、書、製陶、蒔絵、茶道などにも精通した。書は独自の光悦流を創始し、俵屋宗達などに下絵を描かせた料紙との調和美を誇る和歌を多く書き、近衛信尹、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と並び称された。「金銀泥下絵色紙(奈良市大和文華館所蔵)」は有名。製陶では国宝「楽焼白片身替茶碗(銘不二山)」「楽焼黒茶碗(銘雨雲)」をはじめ、楽焼茶碗に傑作を残した。蒔絵は古典に主題を求めたものが多く、鉛、錫、青貝を使用した国宝「舟橋蒔絵硯箱(東京国立博物館蔵)」が代表作。陶芸・漆芸でも、光悦楽焼・光悦蒔絵の創始者として一家をなす。また、角倉素案らとともに、豪華なひらがな活字本の謡曲「嵯峨本伊勢物語」を刊行した。茶道は初め古田織部を師とし、後に武野紹鴎系統の陀茶に傾倒した。絵画彫刻には確証ある遺品わない。
元和元年(1615)に徳川家康から京都洛北鷹峯の敷地を与えられ、一族、配下の工芸家を集めて芸術村を作った。
孫の本阿弥光甫が記した「本阿弥行状記」に詳しい。

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法華経寺の縁起

法華経寺は、文永11年に太田乗明の居館に創建した本妙寺(日高上人)と、若宮領主の富木胤継(日常上人)の居館に創建した法華寺とを合寺して、永享3年(1431)頃に法華経寺と改称したといいます。江戸時代には寺領50石1斗餘の御朱印状を拝領した日蓮宗の大本山です。

市川市教育委員会掲示による法華経寺の縁起

日蓮宗大本山法華経寺7A83FB3E-C737-4868-B221-005F35B01944

正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。
中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍と太田乗明が館を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越となりました。時に鎌倉時代の中期、建長年間(一二四九~五五)頃のことです。
彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴です。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この両寺が合体して法華経寺と名乗るのは、戦国時代の天文十四年(一五四五)以後のことです。
富木常忍は出家して日乗と名乗り、法華経寺の初代貫主となり、二代目は太田乗明の子日高が継ぎました。そして千葉胤貞の猶子である日祐が第三代貫主となった鎌倉末期から南北朝期ごろ、法華経寺は隆盛の時代を迎えます。千葉胤貞は当時、守護ではありませんでしたが、千葉氏の有力な一派として威をはり、下総・肥前などの土地を寄進して、日祐の後押しをしています。日祐は胤貞の亡父宗胤の遺骨を安置し名実ともに法華経寺を胤貞流千葉氏の氏寺とし、その後の法華経寺の基礎をつくりました。その後、室町時代をへて江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰される寺院となります。
法華経寺には、祖師日蓮の書いた「立正安国論」「観心本尊抄」の国宝や重要文化財をはじめとして多数の聖教(仏典)類が保管されています。これは千葉氏のもとで文筆官僚の任にあたっていた日常が熱心に整理保存に意をそそいで以来、寺内の宝蔵や坊で厳重に保管されてきた結果です。現在は境内の奥の堅牢な聖教殿で保管されており、その伝統はいまも確かに受け継がれています。
また、日蓮自筆の聖教の裏からは、鎌倉時代の古文書が発見されました。これを紙背文書といいます。これは富木常念が提供した千葉氏関係の事務書類を、裏返して著作の料紙として日蓮が使用した結果、偶然のこされたもので、歴史に残りにくい人身売買や借金の実態など、当時の東国社会の生々しい現実を知る貴重な資料となっています。
寺内にはその他、重要文化財の法華堂・祖師堂をはじめとする堂舎、絵画や古記録・古文書などの数々の文化財があります。また周辺には日蓮が鎌倉にむけて船出したという二子浦(現船橋市二子周辺)の伝説など、日蓮にまつわる伝説も豊富に残されています。
これらにより大本山としてはもちろん、さながら文化財の宝庫として、法華経寺の名は全国に知られています。(市川市教育委員会掲示より)

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法華経寺所蔵の文化財

日蓮上人筆観心本尊抄(国宝)
日蓮上人筆立正安国論(国宝)
五重塔(国重要文化財)
祖師堂(国重要文化財)
法華堂(国重要文化財)
四足門(国重要文化財)
絹本着色十六羅漢像(国重要文化財)
日蓮筆遺文(国重要文化財)
黒門(市有形文化財)
本阿弥家分骨墓3基(市有形文化財)
光悦筆扁額3面(市有形文化財)
本阿弥光悦分骨墓(市有形文化財)

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国指定重要文化財 法華経寺五重塔

大正五年五月二十四日指定
建築年代江戸時代元和八年(1622)
構造形式三間五重塔婆瓦棒銅板葺
この五重塔は本阿弥光室が両親の菩提を弔うために、加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したものです。塔の総高は九八尺(約三十m)で近世の五重塔としては標準的な規模となり、東京都大田区池上にある本門寺の五重塔(重要文化財)や台東区上野の寛永寺五重塔(重要文化財)とほぼ同じですが、他のものと比較すると軒の出が少ないので細長い感じを受けます。
建築様式は和様を主体として造られていますが、最上重のみは禅宗様になっています。これは明治四十五年に半解体修理が施された際に変更されたものとみられます。また、初重の正面は両開きの桟唐戸、両脇には窓枠に等間隔の格子をはめ込んだ連子窓を取り付けた伝統的な形式を守っています。
塔の内部には中心に芯柱、その外側には四天柱と呼ばれる四本の柱を立て、さらに禅宗様須弥壇(仏像を安置する壇)を置き、木造釈迦如来・多宝如来坐像(県指定文化財)をまつっています。四天柱をはじめとして内部は極彩色や朱漆で塗られ荘厳にされています。
昭和五十五年に修理が行われて外部に弁柄塗りが施されてました。
平成十一年三月 市川市教育委員会

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国指定重要文化財 法華経寺祖師堂

昭和六十年五月十八日指定
構造形式 桁行七間、梁間七間、一重、比翼入母屋造、正面向拝三間、背面向拝一間、こけら葺、附棟札 十一枚

祖師堂は宗祖日蓮聖人をお祀りするお堂で、最初は鎌倉時代の正中二年(1325)に上棟した小規模な五間堂でした。その後、焼失などのため数回の再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝六年(1678)に上棟されたものです。
建物は大規模な七間堂で、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持つのが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造の屋根を持つのは全国でも岡山県にある吉備津神社本殿(国宝)だけです。堂内は、正面の吹き放し外陣、内部の広い内陣、それに両脇の脇人と背面の後陣に区切られています。内外陣境の上部には揚格子、下方には結界と呼ばれる取り外し可能な仕切りを入れ、また内脇陣境にも同様な結界がありますが、大きな行事の際には、これらを開け放って堂内を広く使うことができるように工夫されています。これらは日蓮宗の仏堂によく見られる特有の形式です。内陣は本来板葺きですが、現在は畳を敷詰めてあります。天井は格縁天井といい、碁盤目状の縁の部分は黒漆塗りで、天井板には桔梗紋が描かれているほか、内陣周りの上部は極彩色塗りで荘厳にされています。
祖師堂は関東地方では数少ない大型日蓮宗仏堂の典型で、その規模や形式は当時の庶民信仰の動向を知る上での一指標として位置付けられるとともに、建立年代が明確な建造物としても重要です。
昭和六十二年から始まった解体修理は十年の歳月を費やして平成九年に完了し、建立当初の姿に復元されました。
平成十一年三月 市川市教育委員会

祖師堂には日法師作(1259~1341)の日蓮聖人像が安置されています。また、扁額(市指定文化財)は室町から江戸にかけて活躍した書家で工芸家、本阿弥光悦(1558~1637) の筆による。
また、高浜虚子は明治31年に訪れ、祖師堂に腰をおろし物思いにふけった様子が高浜虚子の「中山寺」に描かれています。

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大本山 正中山法華経寺 刹堂

祖師堂奥の小高い丘の上にあり、まるで山寺のような急な角度の入母屋屋根が特徴の可愛らしい建物です。
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。

十羅刹女(じゅうらせつにょ)

法華経』陀羅尼品(だらにほん)に説く、同経を守護する10人の鬼神。法華経に説かれる10人の羅刹女、藍婆(らんば)・毘藍婆(びらんば)・曲歯(こくし)・華歯(けし)・黒歯・多髪・無厭足(むえんぞく)・持瓔珞(じようらく)・皐諦(こうたい)・奪一切衆生精。初め、人の精気を奪う鬼女であったが、のちに鬼子母神らとともに仏の説法に接し、法華行者を守る神女となった。像容は天女形で、忿怒形に描かれることはない。装束は唐風、和風の二様あり、持物は必ずしも一定しない。「平家納経」「扇面法華経冊子」のように、「法華経」の見返し絵や表紙に描かれるほか、「普賢十羅刹女図」として白象に乗った普賢菩薩に伴って描かれることも多い。(廬山寺本、日野原家本)。

鬼子母神(きしぼじん又はきしもじん)

 

仏教の守護神、安産と育児(幼児保護)の神。ふつう一児を抱き、手にざくろを持った天女の姿をとる。。サンスクリット語でハーリーティーHaritiといわれる鬼女。訶梨帝母(かりていも)、歓喜母ともいう。
仏教の伝説によると、釈尊在世の頃、もと夜叉の娘のこの鬼女が王舎城に出現して、民衆の千人もの子供を奪い食ったため、釈尊はその最愛の一児を隠し、この鬼女を教導され、五戒を受け、のちに仏教に帰依し出産・育児の神となった。また、以後王舎城の守護神となったといわれる。
日本では主として、安産、保育の神として信仰され、ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。
像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の「訶梨帝母像」は柔和でふくよかな容貌で、宋画の影響を受けた12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。彫像は滋賀園城寺、東大寺などにすぐれた遺品がある。
法華経寺では高祖日蓮大聖人御真刻の鬼子母神像が本院奥の鬼子母神堂に安置されている。この像は、文永元年(1264)11月11日、日蓮聖人は小松原で眉間に傷を負う危難に遭遇した際、鬼子母神が出現し大聖人の一命が救われ、中山に避難し養生のかたわら鬼子母神霊験に深く感じその尊像を自ら彫刻開眼されたものと伝えられています。

大黒天

梵語Mahakala摩訶迦羅と音写される。
もとインドで破壊を意味する暗黒の神。密教では、胎蔵界曼荼羅の最外院北方に属し、三面六臂で忿怒の黒色形相をもつとされる大自在天の化身、又は眷属として仏・法・僧の三宝を守護し、戦闘をつかさどる神。のちに飲食をつかさどる神となり、忿怒(ふんぬ)相を示す。寺院の厨房などに祭られた。
最澄が日本に伝え、比叡山に祀ったのが最初。
七福神の一。米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、右手に打ち出の小槌を持ち、大きな袋を左肩に担ぐ像で表される。大国と混同し、中世以降、大国主命と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。
武装忿怒の大黒天像は、滋賀明寿院に伝わる半跏像など、藤原時代の作例がいくつかあるが、多くは袋を背にかけた法衣の姿で、福岡観世音寺に藤原時代の遺品が伝わる。鎌倉時代以後は滋賀聖衆来迎寺のものなど、大部分のものが七福神の一つとしての姿をとり、江戸時代にいたるまで急激に増加した。

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指定重要文化財 法華経寺法華堂

大正五年五月二十四日指定
建築年代 室町時代後期
築造形式 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、銅板葺、附棟札 五枚
法華堂は法華経寺の本堂で、釈迦・多宝両尊像を本尊としています。堂の創建は文永年間(十三世紀後半)に富木常忍が若宮の館に建立し、後にこの中山に移されたと伝えられ、銭四貫文で建てられたことから四貫堂とも呼ばれています。現在の法華堂の様式から室町時代後期に再建されたものと思われます。もとは祖師堂と同じ地盤に建っていましたが、江戸時代中期に行われた祖師堂の立替えに伴ってこの場所に移されました。
建物は桁行五間、梁間四間の小規模な五間堂で、屋根の銅板葺は江戸時代後期の改造によるもので建立当初は茅葺でした。内部は正面一見の柱間を大きくとった吹き放し外陣と一室の内陣からできています。柱や須弥壇(仏壇を安置する壇)の配置などからは、内陣の奥行きを大きく取ろうとした工夫が見られます。なお、外陣正面にある「妙法花経寺」の扁額(市指定重要文化財)は本阿弥光悦によって書かれたものです。
法華堂は禅宗様を基調としながら和様を巧みに取り入れた形式で、日蓮仏堂としては最古に属する重要な遺構です。
平成十一年三月市川市教育委員会

法華堂
日蓮大聖人御真刻の一尊四菩薩像を安置している。日常上人の教えを受け、太田乗明は自身の宅地を御堂とし、正中山本妙寺を建立しました。法華堂は鎌倉時代の建物であり、飛騨の匠による。宗祖日蓮大聖人の最初転法輪法華説法の道場。

四貫堂由来の文
法華堂の軒に、日蓮大聖人よりに日常上人に送らるるところの消息の写しを、板に書きて揚く。
銭四貫をもちて一円浮堤第一の法華堂作りたりと、霊山浄土に御まゐり候はんときは申しあげさせ候へかし、恐々。
十月二十二日 日蓮 判

進上 富城入道殿御返事
真書は宝庫に収む。世に「銭四貫をもて造る」といひ伝ふるものこれなり)。

ちくま学芸文庫 新訂 江戸名所図会6を参照

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国指定重要文化財 法華経寺四足門

大正五年五月二十四日指定
建築年代 室町時代後期
構造形式 四脚門、切妻造、こけら葺
四足門はもと鎌倉の愛染堂にあったものをこの地に移したと伝えられています。法華経寺では、はじめ本院の玄関門としていましたが、明治になって法華堂前の現在の場所に移されました。建築年代は形式より室町時代後期と思われます。
この門はほぼ純粋な禅宗様の様式で造られ、本柱を棟近くまで伸ばし、この前後に控柱をたてて、これらを海老虹梁という湾曲した腰の強い梁で繋ぐ珍しい構造です。柱の断面はやや楕円形でこれも他に例のないものです。
さらに彫刻類の装飾が多いことも特徴のひとつで、それぞれ室町時代後期に多くみられる文様や形をよく現しています。これらの装飾は全て正面を意識して造られていることから、もとは側面の両側に塀を付属させた入口門であったと考えられます。また建具は和様の板唐戸を用いて様式的な変化を持たせています。柱、虹梁(梁の一種)など主要な部材には欅、その他の部分には檜、杉、桜などを用いています。
昭和十年に解体修理が行われ、大部分の部材が新しいものと取り替えられましたが、使用可能なものは文化財の保存の意味から再用しています。
平成十一年三月市川市教育委員会

法華経寺掲示板による。

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大本山 正中山法華経寺 宝殿門

法華経寺祖師堂のちょうど裏側、祖師堂と荒行堂の間にあり、門の下の石段を昇ると聖教殿へと続きます。石段の上左側には毛塚静枝の歌碑「聖教殿へ霜一枚のいしだたみ」があります。
また、宝殿門は太客殿、荒行堂、祖師堂を結ぶ回廊でもあります。
写生や写真撮影の人気のスポットでもあり、桜の季節、紅葉の季節にはカメラや画材を持った人を見かけます。

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大本山 正中山法華経寺 大仏(釈迦如来坐像)

法華経寺の大仏、釈迦如来坐像はお釈迦様が悟りを開かれた姿の坐像です。
丈六像と云われて来ましたが、像高は356㎝、膝張279.5㎝の法量をもつ大佛像で参拝の人を優しく包み込むお釈迦さまの貴高さを表しておられます。京都洛中本山本法寺第廿八世から享保二年(1717)八月當山第五十九世貫首の法燈を継承された玄理院日禪聖人は熱烈な布教活動を行い浄財を集め神田鍋町に住む御鋳物師太田駿河守藤原正義に依頼して享保四年九月にこの大佛が完成いたしました。
腰部には、「四海安泰五穀成熟」「壇門勃興庶民快楽」を祈念して建立されたとあります。

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アクセス

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

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  • 原子力航空母艦ロナルド・レーガン停泊中の横須賀港にヨリミチ🚣‍♀️

  • 佐倉市民ハイキングで伝統的民俗文化、大蛇の魔除け🐍佐倉市「井野の辻切り」を堪能🐍

  • 🌸河津桜が咲きはじめ、梅林坂の紅白梅も綺麗に咲いている皇居東御苑をヨリミチ‼️

  • アニメ刀剣乱舞の「同田貫正国」がある佐倉市内の「塚本美術館」にヨリミチ‼️

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