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初めて実測による日本全図を作成の快挙を成し遂げた伊能忠敬❗️ふるさと「小江戸・佐原」をよりみち🗾

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佐倉市から車で東関東道を経由して1時間程で佐原に着く。佐原は、合併を含めて、今は香取市となっている。佐原は日帰りバス旅行に適したところなので何回か訪問しているが、ほとんどは通り一遍の観光となってしまっている。今回は、伊能忠敬に的を絞って小野川沿いと商家の街並みを見て歩く事にした

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シニア世代の17年かけて日本全土を実地測量した伊能忠敬

初めて実測による日本全図を作成の壮挙を成し遂げた伊能忠敬

伊能忠敬はどんな人か(忠敬略伝)

忠敬略伝

伊能忠敬は、下総の佐原(現千葉県香取市)で、事業家として成功した。その後49歳で隠居し、50歳のときまさに五十の手習いの諺を地で行くかの如く江戸に出て、天文・暦学を学び始めた。
その修業中きっかけをつかんで地図作りを始め、シニア世代の17年をかけて日本全土を実地測量し、初めての実測による日本全図の作成という壮挙を成し遂げた。
隠居後、在職中を遥かに上回る大仕事を達成したことが、いまの世の中の関心をよんで、静かなブームとなっている。

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居住したところ

九十九里町小関 出生の地
横芝光町小堤 成長の地
香取市佐原 事業家として活躍した地
深川黒江町 晩学を楽しんだ地 出生地

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小野川沿いの風情

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出生~少年時代

忠敬は、延享2年1月11日(1745.2.11)、上総国(千葉県中央部)九十九里浜のほぼ中央の 小関村こぜきむら(現在は九十九里町)の名主・小関五郎左衛門家の当主・小関貞恒の第三子として誕生した。幼名は三治郎、兄と姉がいた。
6歳(年令は満年令)になったとき母が病没する。

この地方は長子相続制・姉家督といって、女でも長子が家督を継ぐ習慣があった。母は長子だったので、約15キロ北の 小堤村おんずみむら(現在の横芝光町)の名主・神保家から婿を迎えていた。母が死亡すると、婿の父は離縁になり、実家に帰った。姉家督は女が死亡すると、婿は実家に帰るのがしきたりだったという。
父は兄と姉だけを連れて帰り、幼い三治郎はなぜか、ひとり小関家に残された。読み、書き、算盤をしっかり教えて貰うために残されたのであろう。

生誕地は現在「伊能忠敬生誕地公園」として整備され、天測中の銅像が置かれている。

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成長:十代の頃

10歳になったとき父が迎えにきて、17歳までを父のもとで成長した。
この間、常陸の某寺に住み込んで和尚から和算を習ったとか、土浦の医者宅に住み込んで医術や四書五経を習ったといわれている。

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父はこの頃には分家していたが、忠敬は二男である。継ぐべき家がない者にとっては、医者、僧侶、学者などしか身を立てる道がなかった時代である。父の勧めで生きる道を真剣に探していたというべきであろう。

幕府役人が家に泊まって計算をしているのを見てすぐ理解したとか、世話になっている親戚の平山季忠の代理で土木工事の指図をさせたら、人使いがなかなか上手かったと伝えられている。気のきいた、目はしの効く若者だったことは間違いないだろう。

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事業家時代

17歳になったとき、縁あって、親戚の平山家の養子となり、林大学頭から忠敬と名を付けてもらって、佐原の酒造家・伊能三郎右衛門家に入婿し、四歳年上のミチと結婚する。

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家業に出精して家運を隆盛に導き、名主としても頑張って、天明の大飢饉に佐原からは一名の餓死者も出さなかった。49歳で隠居したときは家産三万両だったという。

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晩学時代

50歳のとき江戸に出て、深川黒江町に隠宅を構え、寛政の改暦のため、大坂城番玉造組の同心から旗本の天文方に抜擢された新進の天文学者・高橋至時に入門する。
天文・暦学を勉強するとともに、自宅に天文方に匹敵する規模の観測所を設けて、太陽や恒星の高度などを熱心に観測し、推歩という天体運行の計算に熱中した。

時間をきめて観測するため、外出を好まず、雨でも降らないとゆっくり話すこともできなかったらしい。あまり熱心なので、師匠の高橋至時は忠敬に推歩先生という「あだな」をつけたという。

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勉強中に、至時が日食、月食の正確な予測のため、地球の大きさを知りたがっていることがわかる。浅草の暦局と隠宅の間に緯度一分半の差があることはわかっていたから、忠敬はさっそく、深川―暦局間を歩測して緯度一分の距離を歩測で求めて提出したらしい。
そのときの測量図が世田谷の伊能家に現存していた。

師匠は「深川―暦局間では近かすぎるが、蝦夷地くらいまで測ったら信頼できる値になるだろう」というようなことを述べたのであろう。幕府に蝦夷地測量の申請書を提出することになった。

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日本全国の測量

曲折があったが、第一次の蝦夷地測量がはじめられる。根室の近くのニシベツまで往復3,200キロを180日かけて歩測し、途中81ヶ所で天体観測をおこなった。あきれるばかりの根気よさである。
蝦夷地の実測図は大変高く評価された。現在図と較べても経度を補正すれば、地形は重なる。

第二次測量では測量方法を改善し、間縄を使って本州東海岸の測量を始める(第一次の蝦夷地測量では全行程とも歩測だった)。
ついで、第三次測量では出羽から日本海沿岸、第四次測量では東海道・北陸道沿海、と測量が続けられ、文化元年には東日本の図が完成した。

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八月に老中・若年寄の閲覧に供し、九月、第11代将軍・徳川家斉の台覧をうける。

ここまでは幕府が補助金を出した忠敬の個人事業であったが、このあと、忠敬は微禄だが幕臣(45俵くらい)に登用され、幕府測量隊として下役・内弟子など多数の部下をつれて、老中の御証文を持って西国の海岸と主要街道を丁寧に測量した。

伊能隊の全測量日数の約八割は幕府事業として遂行された。
測量旅程の概要は測量日記一覧を参照されたい。

文政元年4月13日(1818.5.17)忠敬は、移っていた八丁堀の地図御用所(自宅)で73歳の生涯を閉じた。
地図は未完だったので、喪を秘して下役、門人の手で作業が継続される。幕府に提出されたのは、死後3年余の文政4年7月10日(1821.8.7)であった。

正式な名称を 大日本沿海輿地全図だいにっぽんえんかいよちぜんずという。大図214枚、中図8枚、小図3枚からなっている。

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伊能測量のキッカケから終了まで

忠敬は三人目の妻・お信の父で仙台藩の上級藩医・桑原隆朝とは「ウマ」があった。お信亡き後も親密な付き合いが続いていた。証拠となる史料はないのだが、状況から考えると高橋至時への入門を世話したのは桑原隆朝だった可能性が高い。

寛政の改暦のために、高橋が大坂から下ってくるという極秘情報を桑原隆朝から聞いて、忠敬は「これだ」と思ったのではないか。天文・暦学は好きな道であるし、早速押しかけて入門する。難しい理論を習ったり、天文方なみの観測機械を自宅に据え付けて太陽や星を測った。

勉強しているうちに、高橋至時が地球の大きさを知りたがっていることが分かる。 いつも観測していて、深川の自宅と蔵前の天文方の緯度差は一分半と知っていたから、「両地点の子午線上の距離がわかれば、地球の大きさは計算できる」そう思いつくと、すぐ実行にとりかかった。

試測のデータは師匠に相手にされなかったが、蝦夷地までも測ったら使えるデータが得られるかも知れないといわれ、蝦夷地まで地上の距離と星の高度とを測る決意をする。第一次測量である。実現には桑庫隆朝の側面工作の力が大きかった。測量の実務については、高橋至時が細かい注意をあたえた。彼は忠敬を全面的には信頼できなかったようだ。

忠敬ら一行6名(55歳の忠敬、内弟子の門倉隼太・平山宗平・伊能秀蔵、下僕の吉助・長助)の測量隊は、蝦夷地が寒くならないうちにと、急ぎに急いで蝦夷地の根室の近くのニシベッまで往復3,200キロを180日かかって歩測した。

昼は交代で歩数を数え、曲がり角では方位を測る。夜は宿舎の庭に象限儀を据え付けて星の高度を測った。蝦夷地測量の成果は小図1枚、大図21枚に描いて提出された。この結果を高橋至時はみて、予想外の頑張りに感動し、よくできたと激賞した。

費用は節約して約百両かかったが、お手当は22両だった。器具の準備に70両かかったから、初めての測量の自費負担は、約150両弱。今のお金で3,000万円位だろう。

実績が認められ翌享和元年(1801)には、当時幕府がいちばん知りたかった伊豆半島、房総半島から三陸、下北半島まで測って、日本東海岸の図を作るように命じられる。

手当は少し上がっただけだったが、二回目からは、幕府勘定奉行から先触れが出されたので、地元の協力が得易くなった。緯度一度を28.2里と算定したが高橋至時は信じなかった。しかし、本州東岸の地図は評価され、幕府は忠敬に東日本全体の地図を作らせようと考える。

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第三回目は、日本海側の出羽・越後の海岸を測る。忠敬は緯度一度の距離を測って学問的業績を残そうと思っていたのだが、地図が評価され地図作りに傾き始める。彼にとっては、隠居後の事績として残せれば、地図作りでもよかったのではないか。これまで測量旅行と荷物運搬の人馬には費用を払っていたが、今回から幕府の公用扱いとなり、多くの人馬を無料で使えるようになる。

第四回の測量は、東海道から北陸道の沿岸を同じように測量した,測量開始してから5年目の1804年に、第一次から第四次までの測量結果を、日本東半部沿海地図(略称沿海地図)にまとめて提出した。小図1枚、中図3枚、大図69枚だった。

正確さと美観に、大いに気をつかい、美しく仕上げた。狙いどおり幕閣で好評を博した。面目を施した忠敬は、沿海地図の完成で、地図作りをやめるつもりだったのではないか。

ところが、幕府の老中・若年寄らは、地図の出来映えに満足し、日本全国の地図を同様に作らせる気になる。西国諸大名に日本全土の実測という目的を理解させるのは大変だったと思われるが、幕府は伊能図を文化元年九月、第11代将軍・徳川家斉の上覧に供する。将軍はもちろん感心して賞賛したであろう。

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「将軍、佐原の商人・伊能忠敬の日本図を閲覧」の話は風のごとく諸藩に広がった。忠敬は幕臣に召し出され(小普請組)、10人扶持(約40俵)を支給される。測量隊長として約3年をかけで西国一円を測量するよう、老中から指示が出された。

10数名の大部隊による幕府直轄測量は初めは3年でと考えていたが、西日本は海岸線が複雑なこと、幕府事業になって丁寧に測られたことから大幅に進捗が遅れる。結果的に、このあと11年かかってしまう。測量日数では幕府事業80%、個人事業20%であった。

測量旅行の回数は、10回におよんだが、忠敬は第九次の伊豆七島測量を除いて全測量に従事した。測量距離は約4万キロ、忠敬自身の旅行距離は3.5万キロに達した。すべての測量をおわり、弟子の問宮林蔵が担当した蝦夷地の測量デー夕を受けとったのち、文政元年4月13日(1818.5.27)に地図御用所であった八丁堀の自宅で没する。享年73歳。

地図御用所では、忠敬の死を秘して地図製作の作業が続けられ、3年余り後の文政4年(1821)に完成する。上司の高橋景保は、忠敬の孫・忠誨と下役一同をともなって登城し、老中・若年寄の前に地図を提出し閲覧に供した。最終提出の伊能図の名称を「大日本沿海輿地全図」という。大図214枚、中図8枚、小図3枚からなる。その後9月4日(1821.9.29)に至って忠敬の喪を発した。

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伊能忠敬年表

年号 年齢 事柄 史跡・資料
延享2年(1745) 0歳 現在の九十九里町小関に生まれる。幼名三治郎 伊能忠敬出生の碑・伊能忠敬測量公園
宝暦元年(1751) 6歳 母が亡くなり、父貞恒は兄・姉を連れて実家に帰る
宝暦5年(1755) 10歳 父のもと(神保家、現在横芝光町小堤)に戻る 成長の碑
青年期 土浦の某医者に医学等を学ぶが詳細は不明
宝暦12年(1762) 17歳 佐原伊能家の婿養子となりミチと結婚。名を忠敬とする 伊能忠敬旧宅
明和6年(1769) 24歳 佐原の祭礼で紛争 八坂神社
安永元年(1772) 27歳 佐原村河岸一件が起こる 佐原村河岸一件(史料)
安永7年(1778) 33歳 ミチと松島へ旅行に行き、『奥州紀行』を記す 奥州紀行・竹駒神社・芭蕉句碑

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天明元年(1781) 36歳 佐原村本宿組名主となる
天明4年(1784) 39歳 本宿組名主をやめ村方後見となる
寛政3年(1791) 46歳 家訓書を書く 家訓書
寛政5年(1793) 48歳 関西へ旅行し『旅行記』を記す 旅行記
寛政6年(1794) 49歳 家督を長男景敬に譲り、隠居し勘解由と名乗る
寛政7年(1795) 50歳 江戸深川黒江町に住み、高橋至時の弟子となる 伊能忠敬住居跡碑
寛政12年(1800) 55歳 第1次測量:東北・北海道南部測量 函館山忠敬レリーフ・測量経路・西別最西端の碑
享和元年(1801) 56歳 第2次測量:関東・東北東部測量 九十九里町北極出地の碑・星座石・測量経路
享和2年(1802) 57歳 第3次測量:東北西部測量 象潟・測量経路
享和3年(1803) 58歳 第4次測量:東海・北陸測量 測量経路
文化元年(1804) 59歳 日本東半部沿海地図を幕府に提出し、将軍家斉の上覧を受ける。以後幕吏に登用される
文化2年から3年まで(1805から1806まで) 60歳から61歳まで 第5次測量:畿内・中国測量 測量経路
文化5年から6年まで(1808から1809まで) 63歳から64歳まで 第6次測量:四国測量 測量経路
文化6年から8年まで(1809から1811まで) 64歳から66歳まで 第7次測量:九州1次測量 測量経路
文化8年から11年まで(1811から1814まで) 66歳から69歳まで 第8次測量:九州2次測量 坂部貞兵衛の墓・測量経路・伊能の碑
文化11年(1814) 69歳 自宅を八丁堀亀島町へ移す 茅場町忠敬住居跡
文化12年から13年まで(1815から1816) 70歳から71歳まで 第9次測量:伊豆七島測量(忠敬は不参加)
文化13年(1816) 71歳 第10次測量:江戸府内測量 高輪大木戸跡
文政元年(1818) 73歳 死去 源空寺墓・観福寺墓
文政4年(1821) 大日本沿海輿地全図(大図214枚・中図8枚・小図3枚)及び大日本沿海実測録(14巻)が完成

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小野川、樋橋(ジャージャー橋)

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樋橋(ジャージャー橋)

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伊能忠敬旧宅

日本全国を測量して歩き、はじめて実測日本地図を作成した伊能忠敬。彼が17歳から50歳まで30年余りを過ごしたのが、「伊能忠敬旧宅」です。香取市佐原に訪れた際は是非立ち寄りたい定番の観光スポットです。小野川をはさんだ対岸には、伊能忠敬の記念館もありこちらもおすすめです。歴史を学びながらゆったり見学ができる、香取市佐原のおすすめ観光スポットです。
名称:伊能忠敬旧宅
住所:〒287-0003 千葉県香取市佐原イ1722-1
アクセス:①電車:JR成田線「佐原」駅から徒歩15分、②自動車:東関東自動車道 佐原香取ICから約10分
営業時間:9:00~16:30
電話番号:0478-54-1118(伊能忠敬記念館)
料金:伊能忠敬旧宅は無料、伊能忠敬記念館:大人500円(450円)、小・中学生250円(200円)※カッコ内は団体料金(15人以上)

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スイフヨウ

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小野川沿いの古い町並み

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初代船宿「木の下旅館」創業明治34年

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三菱館(旧三菱銀行)

三菱館は県内でも有数の洋風建築として知られている。
レンガを積みあげて建てられた2階建ての洋館で内部は吹き抜けになっており、2階周囲に回廊がある。屋根は木骨銅版葺きで、正面建物隅にドームを設けてある。
川崎銀行佐原支店(開業明治13年)として建設され、現在は市に寄贈されて観光案内所に利用されている。
千葉県有形文化財
注釈:東日本大震災の影響により閉館中

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

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