1. TOP
  2. 大江戸線、行き当たりバッタリ「ぶらり途中下車」の旅🚆

大江戸線、行き当たりバッタリ「ぶらり途中下車」の旅🚆

%e3%82%88%e3%82%8a%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%83%ad%e3%82%b4-01

%e3%83%98%e3%83%83%e3%83%80%e3%83%bc-13

都営一日券を購入して大江戸線をブラリと途中下車の旅に出かけた。大江戸線は他の地下鉄に比べて鉄輪式・リニアインダクションモーター推進方式を採用するコンパクト地下鉄で都内の最深部を走っている。今回は、江戸城外濠の牛込濠がある、飯田橋駅をスタートして6の字の路線に乗ることにした。果たしてどんな旅か無計画なブラリ旅です。

IMG_0962

大江戸線の「6の字型」都心最深部の地下鉄にブラリ旅🚆

途中下車した駅(都営交通の一日券を利用)

飯田橋🚃牛込柳町🚇都庁前経由🚞光が丘🚇森下

 

螟ァ豎滓虻邱夊キッ邱壼峙繧オ繧、繝育畑ver10 [

 

IMG_0948

大江戸線

大江戸線(おおえどせん)は、東京都交通局が運営する鉄輪式・リニアインダクションモーター推進方式を採用した鉄道路線(都営地下鉄)。鉄道要覧には12号線大江戸線と記載されている。都営大江戸線と呼ばれることが多い。

東京都練馬区の光が丘駅と渋谷区の新宿駅を結ぶ放射部と、新宿駅から反時計回りに新宿区の都庁前駅に至る環状部から構成される。環状の路線を形成しているが、山手線などとは異なり、「エンドレス循環型」運転ではなく「6の字型」運転である(運行形態については後述。他の環状運転路線の例は「環状運転」参照)。なお、起点は都庁前、終点は光が丘である。

路線名の由来は東京の古称である江戸の雅名「大江戸」から。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「マゼンタ、路線記号はE。

IMG_0045

この路線は、1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京12号線は「新宿方面より春日町(文京区)、上野、深川及び月島の各方面を経て麻布方面に至る路線」として示された。その後、1972年(昭和47年)の答申第15号では新宿方面 – 麻布方面を環状線とし、新宿から新宿に戻り、さらに新宿 – 高松(練馬区)間および東京8号線から削除した護国寺 – 目白間を加える形に変更された。なお、同時に高松町(現:光が丘ニュータウン付近)から大泉方面への延伸も検討されている。このうち、放射部にあたる光が丘 – 練馬 – 都庁前 – 新宿間が「都営12号線」として開業し、後に環状部延伸開業時に「大江戸線」と改称している。

建設費を削減するため、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線に次いで日本で2番目に鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄が採用された。都営地下鉄の路線の中では唯一、他社路線との直通運転をしない路線となっている。また、浅草線と同様に全線・全駅地下区間で地上には出ない。

後発で建設された地下鉄路線のため、既存の路線より深部を走り、全般的に駅ホームがかなり深いところに設置されている。特に2層構造の六本木駅は下部の内回り1番線ホームが地下 42 m と、地下鉄駅としては日本で最も低い場所に位置する。また乗り換え駅では既存路線の駅からかなり離れた場所に位置することも多く、地上経由の乗り換えを余儀なくされる駅もある。都営地下鉄で初めてワンマン運転を実施した。単一の地下鉄路線としては日本最長 (40.7 km) であり、全線がトンネル(地下区間)構造のため、連続した地下鉄トンネルとしても日本最長である。

日本の地下鉄では最深部を走行しており、耐震性に富み、災害時には救助作業の大動脈として利用されることになっている。そのため、非常用の備蓄倉庫が麻布十番と清澄白河の両駅に設置されている。

経営状況
2015年度の大江戸線単独での純損失は約12億7,261万6千円である。約557億円の収益に対して費用が約570億円かかっており、特に約239億円の減価償却費が大きな負担となっている。純損失の額は、2006年度には約156億円あったが年々改善しており、2015年度は前年度比で約49億円改善した。乗車料収入についても2012年度は約380億円、2013年度は約392億円、2014年度は397億円、そして2015年度は416億円と増加傾向にある。

IMG_0962

路線データ

路線距離(営業キロ):全長 40.7 km
光が丘 – 新宿間(放射部) 12.9 km
新宿 – 都庁前間(環状部) 27.8 km
軌間:1435 mm
駅数:38駅(起終点駅含む。ただし都庁前駅は1駅として数える。日本の地下鉄線では駅数が最も多い)
複線区間:全線
電化区間:全線(直流 1500 V、架空電車線方式、車上一次鉄輪式リニアモーター方式)
閉塞方式:車内信号閉塞式
列車無線方式:空間波無線 (SR) 方式
漏洩同軸ケーブル (LCX) を用いた空間波方式である
最高速度:70 km/h
表定速度:内回り 30.1 km/h・外回り 30.4 km/h
全線所要時分:内回り81分10秒・外回り80分25秒
車両基地:木場車両検修場(木場車庫・高松車庫)
内回りは光が丘 – 都庁前 – 大門 – 両国 – 都庁前着まで。外回りは都庁前 – 両国 – 大門 – 都庁前 – 光が丘着まで。

この路線の建設費用は、放射部で4,034億円、環状部で9,886億円と非常に高額で、全線では1兆3,920億円にのぼる。

大江戸線、飯田橋をスタート

地名の由来
地名の由来は、現在の飯田橋駅東口に接する、飯田橋交差点の一部を構成する橋、「飯田橋」。 さらに遡れば、人名を起点としておおむね以下のような経緯を踏んでいる。

飯田町(地名)
1590(天正18)年、開府前の江戸で徳川家康にこの地域を案内したのが、土地の長老であった飯田喜兵衛なる人物であった。家康はその功を称え、一帯を「飯田町」と命名した。
飯田橋(橋名)
1881(明治14)年、交通の便のため、新たに外濠を跨ぐ橋が架けられ、飯田町に接する橋であることから「飯田橋」と命名された。
飯田橋(駅名)
1928(昭和3)年、当時の国鉄は飯田町駅の旅客営業および牛込駅を廃止すると同時に両駅の中間地点に新駅を設置したが、その際、至近であったこの橋の名をとって「飯田橋駅」と命名した。
以降、駅周辺の地域名として「飯田橋」の通り名が次第に浸透し、逆に「飯田町」という地名の存在感は少しずつではあるが薄れていくこととなった。
飯田橋(町丁名)
1966(昭和41)年の住居表示実施の折には、上記のような変化を反映して「飯田町」の呼称を廃し、駅周辺の通称地名としてすでに定着していた「飯田橋」の名を使った町丁名(一丁目~四丁目)が新たに生まれることとなった。

IMG_0046 IMG_0047 IMG_0048 IMG_0049 IMG_0050 IMG_0051 IMG_0052

コンコースには洒落た照明

IMG_0053 IMG_0054

神楽坂下交差点

IMG_0055 IMG_0056 IMG_0057 IMG_0058 IMG_0059 IMG_0060

江戸城外濠

IMG_0061 IMG_0062

牛込橋から中央総武線をみる

IMG_0063

みやこばし

IMG_0064

セントラルプラザ

IMG_0065 IMG_0066

牛込橋

富士見二丁目から新宿区の神楽坂に通じる早稲田通りにある橋です。江戸城外郭門の一つ牛込門のあった所です。今でも橋の手前(千代田区側)の左側に枡形の石垣の一部が残っています。 橋のたもとの飯田橋駅前交番きわに枡形に使用された石に「阿波守」とかかれた文字が刻まれたものがあります。

橋の右手、飯田橋との間はセントラルプラザがあります。ですから、外濠の水はいったんここでせき止められ、姿を消します。そのためこの橋は陸橋のようにも見えます。橋は平成8年に架け替えられています。

IMG_0067

IMG_0080IMG_0081

江戸城外濠跡・牛込見附(牛込御門)跡

牛込見附は、外濠が完成した寛永13(1636)年に、阿波徳島藩主蜂須賀忠英によって建設されました。江戸城外堀跡(昭和31年3月 国の史跡名勝天然記念物に指定)の一部にあたります。すぐそばには牛込橋が架かっています。

江戸城の外郭につくった城門を橋自体も含めて「見附みつけ」、「見付」といいます。現在では牛込見附は千代田区の場所ですが、明治初期を見ると牛込橋の半分は新宿区のものでした。見附は要所に置かれた枡形ますがた(升形)がある城門の外側で、本義は城門を警固する番兵の見張所ですが、転じて城門の意味となりました。

IMG_0068 IMG_0069 IMG_0070

IMG_0951

????????????????????????????

????????????????????????????

IMG_0959

IMG_0072  IMG_0074

IMG_0953

IMG_0075 IMG_0076 IMG_0077

神楽坂通り

IMG_0078

神楽坂下交差点から牛込橋方面をみる

IMG_0079    IMG_0083

富士見二丁目

地名の由来 
地名は、1869年に最初に設定された場所、すなわち九段坂上の三番町馬場・武家地・火除地(田安門から現在の靖国神社外苑、九段南二丁目周辺)を貫く三番町通(現靖国通り)が、西方つきあたりに富士山がよく見えることから「富士見通り」と呼ばれていたことに由来する。また法政大学の裏側にある富士見坂も1873年に拡張された町域内にある。ここも富士山がよく見えたことによる地名だが、現在では高層建造物が密集しており、富士山を見ることはできない。

富士見町の名称は、1869年に九段(坂)上に初めて命名され、1873年3月に旧三番町の一部、旧四番町(表四番町・裏四番町・土手四番町)を含めて六丁目まで成立した。震災復興計画で靖国通りが拡幅整備されたのにともない、沿線に「九段」の町名が新設され、1933年7月1日に一丁目は九段二丁目・(新)三番町、三丁目は九段三丁目(現九段北三丁目)に改編された。

戦後の町名改編で、靖国神社の境内北辺から牛込見附・新見附をコーナーとする区域に改めて富士見一、二丁目が設置された。1933年から靖国通りに面する富士見町が消え、丁目の区画も戦前の富士見町とは異なるので、古い資料を考証するときには注意が必要である。

IMG_0082

IMG_0084 IMG_0085 IMG_0086

螟ァ豎滓虻邱夊キッ邱壼峙繧オ繧、繝育畑ver10 [

IMG_0089

牛込柳町駅下車

駅の名前につられて途中下車してみた。駅前はお寺が2か所あり、この付近に寺の多いことがわかった。名の知れぬ寺に飛び込んだ。

IMG_0090

牛込柳町駅構内壁にグラフィティー

IMG_0091 IMG_0092 IMG_0093 IMG_0094 IMG_0095

大江戸線は「深い」を実感

IMG_0096

牛込柳町駅前の案内板

IMG_0097

IMG_0949

日蓮宗 蓮紹山 瑞光寺

都営大江戸線牛込柳町駅近くにある日蓮宗のお寺です。
蓮紹山と号します。
文禄4年、安土桃山時代の終わりに、上聖院日亮上人によって創建されました。
江戸時代は恵光寺と称してしましたが、明治時代に現在の名称になりました。
小さそうにみえるお寺ですが、裏に広めの墓地を所有しています。
数か所にあった案内板に書かれたお坊さんのイラストがとてもキュートです。

IMG_0098 IMG_0099

IMG_0957

IMG_0100 IMG_0101 IMG_0103 IMG_0104

成城中学高等学校

概要
1885年(明治18年)創立の伝統校。日高藤吉郎、河村隆実といった旧士族らが皇室の恩恵を受け文武講習館として創立。創立当初は陸軍士官学校・陸軍幼年学校への全寮制予備校として、全国から集う陸軍軍人志望者に予備教育を施し、数多くの高級軍人を輩出した。学校創立時の届出書には「本校ハ陸軍武学生徒入学ノ予備学科ヲ教授スル所トス」と記されている。翌年の8月に成城学校と改称、中学校令の発布により旧制中学としての形態が整えられた。日本の学校で初めて臨海学校、林間学校を開設し、現在も毎年中学にて実施されている。陸軍と縁が深いこともあり、現役の陸軍将校が教員として配置され教鞭をとることもあった。川上操六校長時は、山縣有朋や三条実美を名誉補助員として招聘。戦前は留学生の受入れにも積極的で、清国や朝鮮などからの留学生を多数受け入れ、その卒業生の多くは帰国後、時の指導者として活躍した。

2014年12月末に完成した人工芝のグラウンドを有するほか、3万冊以上の蔵書を抱える図書館、50台のコンピューターを備えたマルチメディア教室、柔道場、剣道場、テニスコート、温水プールなどを完備している。現在の敷地は、江戸時代は紀州新宮藩水野家の下屋敷であったが、明治期に後の校長を務めた日露戦争の英雄、陸軍大将児玉源太郎らの尽力により宮内省から下賜されたものである。

「成城」という名は、詩経大雅篇にある、「哲夫成城」に由来する。「哲夫」とは智徳のすぐれた男子のことであり、哲士、哲彦ともいう。 成城の城は国を指し、国を成すの意。すなわち、知達の士は国家を興隆させる者であることをいったもの。校章の三光星は「知・仁・勇」を表す。

世田谷区の成城学園は、戦前に本校より分離独立した学校法人である(下記参照)。9代校長の澤柳政太郎が成城学校内に付設した成城小学校が成城学園の起源。これが現在の世田谷区に移転し、後に成城学園として分離独立した。従って、成城学園は創立時には成城学校を母体としていたが、分離独立後は別個の学校である(成城大学は成城学園の大学であり、成城高校は成城大学の附属高校ではない)。なお、大阪府立成城高等学校とは関連が無い。

日本体育会(現学校法人日本体育大学)とは創立者(日高藤吉郎)を同じくしており、学校間の関係はないものの、日高が死去した際は合同葬儀を実施した。校舎敷地内には「日本体育会発祥之地」なる記念碑が建立されている。

制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個の黒学ラン(標準型学生服)。カフェテリア(食堂、240席)も設置。

IMG_0105 IMG_0106 IMG_0107

常楽寺

慶長法難に依り耳鼻そぎの惨刑にあわれた常楽院日経上人が江戸の布教の根本道場として日本橋小伝馬町に大伽藍を建立したが、徳川幕府に破却、元和元年(1615)、浅草に常楽寺を復興し、歴代先師が法灯を継承、江戸三カ寺としての威容を誇っていたが、市区改正に伴い大正九年に現在の新宿、牛込の地に移転。

江戸時代剣豪「一刀流」ゆかりのお寺

IMG_0108  IMG_0110 IMG_0111 IMG_0112 IMG_0113 IMG_0114

都庁前駅にて光が丘行きに乗換

IMG_0115 IMG_0116 IMG_0117

光が丘駅に到着

IMG_0118 IMG_0119

光が丘駅構内壁面のデザイン

IMG_0120 IMG_0121 IMG_0122 IMG_0123 IMG_0124 IMG_0125

光が丘駅周辺

IMG_0126 IMG_0127

光が丘駅前、マンション群

IMG_0128 IMG_0129 IMG_0130 IMG_0132 IMG_0133 IMG_0134 IMG_0136

森下駅で都営新宿線に乗換で大江戸線の旅は終了です。

IMG_0137 IMG_0138

%e3%82%88%e3%82%8a%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%83%ad%e3%82%b4-01%e3%83%98%e3%83%83%e3%83%80%e3%83%bc-13

\ SNSでシェアしよう! /

よりみち | 日帰り旅行やハイキング・散策のサイトの注目記事を受け取ろう

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

よりみち | 日帰り旅行やハイキング・散策のサイトの人気記事をお届けします。

  • 気に入ったらブックマーク! このエントリーをはてなブックマークに追加
  • フォローしよう!

ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

  • 国営ひたち海浜公園のコキアが真っ赤に色づいています🍁

  • 2018佐倉コスモスフェスタ開催中❗️オランダ風車を背景に50万本を超えるコスモスが満開です🌼

  • 増上寺に眠る6人の徳川将軍家墓所を尋ねました‼️

  • 伊能忠敬30年過ごした❗️「佐原の町並みと小野川沿い」をブラリ散策👟

関連記事

  • 札所巡りを開始!第1号は、坂東三十三箇観音霊場6番、長谷寺(飯山観音)によりみち!

  • 🖼東京国立近代美術館( MOMATコレクション)展示替え作品のみ掲載🎨

  • 初春、静かなたたずまいの芝山仁王尊と芝山古墳はにわ博物館によりみち!

  • 昭和30年代、武蔵野の農村風景👨‍🌾を再現「こもれびの里 古民家」の昭和記念公園にヨリミチ👩‍🌾

  • 伊勢ナデシコは「御所ナデシコ」として門外不出の献上品!歴博付属くらしの植物苑「伝統のナデシコ展」によりみち✿

  • 世界最古の岩石(39億6200万前)をつくば市の「地質標本館」で見ました!