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👟風情ある石畳・坂と横丁の街!神楽坂をよりみち🌺

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坂と横丁の街・神楽坂散策のコース👟

歩程、約3.5km、約1時間👟

飯田橋駅🚉ー東京理科大学近代科学資料館ー若宮公園ー神楽坂若宮八幡神社⛩ー尾崎紅葉、北原白秋旧居跡ーかくれんぼ横丁ー本多横丁ー神楽坂通りー毘沙門天(善國寺)ー光照寺(牛込城跡)ー宮城道雄記念館ー袖摺坂ー円福寺ー赤城神社⛩ー筑土八幡神社⛩ー軽子坂ーランチ(神楽坂・かねいち)ー飯田橋駅🚉

飯田橋駅近くの牛込橋から出発。神楽坂下へ

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飯田濠
牛込門の下には落し口(小さな滝)があったが、飯田濠までは東から舟が入ることができた。付近には神楽河岸、揚場町、軽子坂(軽子は人足の意という)など、荷揚げ場に関連する地名が残っている。飯田濠は反対運動を押し切り、1970年代に暗渠化された。現在は、その上に飯田橋セントラルプラザが建っている。

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飯田濠は今 、セントラルプラザビルが建っている。

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👟石畳・坂と横丁の街 、神楽坂‼️

神楽坂(かぐらざか)は、東京都新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂である。

または東京都新宿区の行政地名である。神楽坂一丁目から六丁目がある。全域住居表示未実施。#町名の変遷を参照。

なお大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」となる。またこの地名は東京メトロ東西線神楽坂駅や都営大江戸線牛込神楽坂駅など駅名にも使われている。

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名称の由来

神楽坂界隈の小路

「神楽坂」の名称の由来について、「江戸名所図会 巻之四」(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。

特徴

表通りでは散歩する人の姿が見られ、また坂を自転車で駆け上がる人もいる。裏通りに入ると閑静な雰囲気である。都心においていまだ生活感が残る場所である。休日やランチタイムに一部区間が歩行者天国となり、界隈の人でにぎわう。

また、神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する。午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)であるが、午後は「坂上←坂下」となり、通行する際は注意が必要である。逆転式一方通行となった背景に、その昔田中角栄が目白台の自宅から永田町に出勤し(午前)帰宅する際(午後)に便を図ったからともいわれるが、これはタクシーの運転手によって広まった都市伝説である。実際の理由としては、急激な交通量の増加で規制を求める声が上がり、その最中に通り沿いの陶器店に車が突っ込む交通事故が発生、これが元で規制が行われたものの周辺で大渋滞が発生したことから、1956年に都心から西側の住宅地に向けた一方通行となり、1958年に現在の逆転式一方通行になった。

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周辺

神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街で、飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないといわれている。また関東大震災以後は、日本橋・銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになった。山の手銀座と言われた時期はこの時で、林芙美子や、矢田津世子の小説にも登場する。坂沿いには商店街が立ち並び、瀬戸物屋・和菓子屋など和を思わせるお店が中心であった。田山花袋は「電車がないから、山の手に住んだ人達は、大抵は神楽坂の通りへと出かけて行った」と記しており、都市交通網の整備によって、神楽坂から銀座や日本橋に殷賑の地が移って行ったと解している[3]。2003年以後特にチェーン店やコンビニエンスストアの進出が目立ち、それとともに、夏目漱石の通った田原屋などの老舗が急速に減少しつつある。また周辺の住宅街でも次々にマンションが建設されており、昔からの風情は失われていっている。

夜の神楽坂小路

表通りから一歩入ると静かな路地があり、住宅街のなかにレストランや料亭などが多く見られる。かつては江戸時代に蜀山人、明治期に尾崎紅葉・泉鏡花などが住み、尾崎紅葉旧居跡は新宿区指定史跡、泉鏡花の旧居跡は新宿区登録史跡になっている。また、坂の周辺には毘沙門天善国寺をはじめ、若宮八幡や赤城神社など多くの寺社が散在する。

周辺の学校には、東京理科大学・法政大学があり、また、アンスティチュ・フランセ東京(旧・東京日仏学院)をはじめとし、フランス関係機関の多さから、フランス人をはじめ海外からの人も見うけられる。

坂下(飯田橋側)にあったパラパラの殿堂といわれたディスコ「ツインスター」(1992年開店)は2003年8月に閉店し、跡地は結婚式場兼フランス料理店に衣替えした。5丁目から矢来町にかけては、著名人なども住む高級住宅地と、昔ながらの人たちが住む住宅地が混在している。東京メトロ東西線の神楽坂駅を過ぎ、矢来町へ進むと矢来能楽堂がある。休日には歩行者天国になり地元の商店街は多くの人でにぎわい、生活感のある風景がひろがる。

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阿波踊り

毎年夏には神楽坂まつりのメインイベントとして阿波踊り大会が開催される。神楽坂まつりは昭和47年(1972年)に神楽坂商店会が中心となって始められ、阿波踊り大会もその時から行われている。参加団体が神楽坂を踊り歩き、周辺の津久戸小学校や愛日小学校などの小学校や東京厚生年金病院も参加する。その他の参加団体には、かぐら連やだむだん連などがある。徳島県や杉並区高円寺から参加する団体もある。

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坊っちゃんの塔

「坊っちゃんの塔」は、神楽坂キャンパス1号館前(外堀通り沿い)に、高さ約6メートルの幾何学的な形のモニュメントとなっており、空間を埋め尽くす形(空間充填形)の元素のひとつである五面体「ペンタドロン」をモチーフにしており、モニュメントの名称は、夏目漱石の小説”坊っちゃん”の主人公が東京物理学校を卒業した旧制中学の数学教師であったことにちなんで「坊っちゃんの塔」と名づけられました。
東京理科大学の建学の精神である「理学の普及」の栄光ある伝統を受け継ぎ、東京理科大学の同窓生の誇りとなり、さらなる結束を固め、ゆるぎない発展のシンボルとなることを祈念し、建立いたしました。
(制作 女子美術大学立体アート研究室 平戸貢児教授)

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東京理科大学近代科学資料館

東京理科大学近代科学資料館(とうきょうりかだいがくきんだいかがくしりょうかん)は、学校法人東京理科大学が運営する付属施設。副称は、二村記念

概要

1991年(平成3年)11月、東京理科大学の創立110年を記念して建設。建物の外観は、1906年(明治39年)に神楽坂に建設された東京物理学校(東京理大の前身)の木造2階建校舎を復元したもの。

二村冨久(二村化学工業創業者、1941年(昭和16年)12月東京物理学校理化学部卒業)が建設費を寄贈した。副称は、彼に因む。

展示

展示物は、東京物理学校(東京理科大学の前身)から引き継がれ、保存された資料や寄贈資料である。

江戸時代の和算書から始まり、多くの算木、そろばん、機械式計算器、電気式計算器、電子式卓上計算器(電卓)、そして、電子計算機にいたる『計算機の歴史』を中心とした展示を行っている。

また、真空管や黎明期のパーソナルコンピュータなども展示されている。

計算機の歴史コーナー 
世界各国の算具、各種計算機を並べ、計算発展の歴史がたどれる。

中国の算木やインディアンの算具といったごく初期のものから、そろばん、種々計算尺、タイガー計算器に代表される機械式計算機、パラメトロンを使った日本の初期のコンピュータFACOM 201から、昭和40年代頃より流通した電子式卓上計算機(いわゆる電卓)が時系列的に展示されている。

また、アップルIIやPC-8001、ベーシックマスターといったパーソナルコンピュータの草分けについても展示がされている。

物理学校記念コーナー 
東京物理学校ゆかりの記念品を展示している。特に、同校卒業生でありのちに講師となった菱田為吉(1868~1943)による、木材を切り出して作成した65種もの各種多面体模型は、明治期の多面体研究の実態がうかがえるだけでなく、当時彫刻芸術としても評価されただけの美観も感じられる。

エジソンコーナー 
炭素電球、蓄音機などを展示している。いずれも明治期のものであるが、電球は実際に発光(負荷を減らすため低電圧で使用)させることもできる。

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理科大の坂

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新宿区立若宮公園

若宮公園は、飯田橋駅から徒歩5分、外堀通りの東京理科大学の脇道を上った通称「理科大の坂」の左側にあり、江戸時代の武家屋敷跡に造られた公園です。理科大の坂は、道幅がゆったりとしている上に、交通量が少ないので「ちょっとした広場」を感じさせます。

若宮公園は、江戸の武家屋敷の面影を残し、趣(おもむき)がある公園です。公園正面の冠木(かぶき)門や公園を囲った白壁、門柱が、江戸時代を彷彿(ほうふつ)させます。

城壁の石組等が随所に見る事が出来、城郭にいるような錯覚を起こしそうになります。


若宮公園内の案内板には
「江戸時代の通称「振袖火事」(1657年)以降、雑木林や草原であった牛込地区に武家が移り住み、武家屋敷中心の町が形成された。 」と書かれています。

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神楽坂若宮八幡神社

鎌倉時代の文治5年(1189年)秋、右大将、源頼朝公が奥州の藤原泰衡を征伐に向った時、当所で戦勝祈願を行い、鎌倉の若宮八幡宮(鶴岡八幡宮の若宮社)を勧請したとされる。当初は仁徳天皇(若宮)を祀っていたが、後に応神天皇が祀られるようになったという。文明年間(1469~87)太田道灌によって再興された。別当は光明山普門院であったが、明治の神仏分離に際し、落飾して神職となった。

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坂道に工房

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泉鏡花、北原白秋旧居跡

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神楽坂通り

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神楽坂仲通り

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絶品のアジフライ定食。おばんざい食べ放題で1100円(税別)

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「おばんざい」はどれをとっても美味しかった。ランチは、この「おばんざい」が食べ放題。

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ランチの神楽坂「かねいち」。マンション2階にある。

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かくれんぼ横丁

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神楽坂の地図|通りと坂

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善国寺

善国寺(ぜんこくじ)は、東京都新宿区神楽坂にある日蓮宗の寺院である。旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善国寺という。開基は徳川家康、開山は日惺上人と伝わる。正式には善國寺と称される。

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由緒 

安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により、馬喰町に創建される。たびたび火災に見舞われ、麹町を経て寛政5年(1793年)には現在地へ移転した。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられている。

池上法類神楽坂法縁縁頭寺。

文化財 

毘沙門天像 – 新宿区指定有形文化財(彫刻)
像高30cm、木造の毘沙門天像。製作時期は不明。開山の日惺上人が池上本門寺へ入山する際、関白二条昭実より贈られたとされる。 なお通常は御簾が掛かっているため像を直接見ることはできない。御開帳の日は、(毘沙門天が寅年、寅の月、寅の日に初めてこの世に姿を現したとされる古事に因み)毎年1月・5月・9月の寅の日とされている。

石虎(狛虎)阿形
石虎 – 新宿区指定有形民俗文化財

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吽業(うんぎょう)85センチ(安山岩製で虎の石像)

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阿形(あぎょう)82センチ(安山岩製で虎の石像)

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地蔵坂

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光照寺 (新宿区)

光照寺(こうしょうじ)は、東京都新宿区袋町にある浄土宗の寺院。増上寺の末寺で樹王山 正覚院 光照寺という。牛込城の跡地に建つ。

歴史

光照寺は慶長8年(1603年)、神田元誓願寺町に開かれた。開基は松平次郎左衛門信貞(松平昌安)、開山は清誉上人光照と伝わる。正保2年(1645年)に現在地へ移転した。また、出羽松山藩江戸屋敷の菩提寺となったため、境内には同藩主家の酒井家歴代の墓が残る。

文化財

地蔵菩薩坐像 – 新宿区指定有形文化財(彫刻)
鎌倉時代製作とされる像高30センチほどの坐像。光照寺門前の地名、地蔵坂はこの像に由来する。
十一面観音坐像 – 新宿区登録有形文化財(彫刻)
江戸時代後期の造仏僧、木食五行明満の作とされる。
阿弥陀三尊来迎図 – 新宿区指定有形文化財(絵画)
室町時代製作とされる来迎図。
法然上人画像 – 新宿区指定有形文化財(絵画)
室町時代製作とされる浄土宗の宗祖、法然上人を描いたもの。
諸国旅人供養碑 – 新宿区登録有形文化財(歴史資料)
文政8年(1825年)に建立された、旅人の供養碑。
便々館湖鯉鮒の墓 – 新宿区登録史跡
江戸時代中期の狂歌師、便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりう)の墓地。
牛込城跡 – 新宿区登録史跡
戦国時代、後北条氏の家臣であった牛込氏の居城跡。天正18年(1590年)の北条氏滅亡後に取り壊され、面影はない。

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牛込城跡

所在地 新宿区袋町15番地
登録年月日 昭和60年12月6日
光照寺一帯は、戦国時代この地域の領主であった牛込氏の居城があったところである。
堀や城門、城館など城内の構造については記録がなく詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと推定される。
牛込氏は、赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532~55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。
天文24年(1555年)重行の子の勝行は、姓を牛込氏と改め、赤坂・桜田・日比谷付近も含めて領有したが、天正18年(1590年)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、 牛込城は取り壊される。
現在の光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転してきたものである。
なお、光照寺境内には新宿区登録文化財「諸国旅人供養碑」、「便々館湖鯉鮒の墓」などがある。
平成七年八月
東京都新宿区教育委員会”

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地蔵坂(じぞうざか)・別名、藁坂

この坂の上に光照寺があり,そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があり,それに因んで地蔵坂と呼ばれた。また藁を売る店があったため,別名「藁坂」とも呼ばれた。
平成二年三月  新宿区教育委員会

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神楽坂饅頭 御菓子の 五十鈴

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宮城道雄
(1894―1956)

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

生田流(いくたりゅう)箏曲(そうきょく)演奏家、作曲家。本姓菅(すが)。前芸名中菅道雄(なかすがみちお)。4月7日神戸市に生まれる。7歳ごろ失明し、8歳で神戸の2世中島検校(けんぎょう)に入門。2年後師匠が病没し、3世中島検校に師事、11歳で免許皆伝となる。13歳のとき、一家の生計を支えるため朝鮮半島に渡り、父の在住する仁川(じんせん/インチョン)で箏(こと)の師匠となる。修行なかばで師のもとを離れた彼は既習曲の反復だけでは飽き足らず、作曲を志し、1909年(明治42)『水の変態』を作曲。翌年京城(現ソウル)に移住、1913年(大正2)入婿して改姓し、芸名をやめて本名の宮城道雄を名のる。1914年、尺八家吉田晴風(よしだせいふう)に会い生涯の親友となる。宮城は朝鮮時代にもたびたび神戸の旧師中島や熊本の地歌(じうた)名手長谷幸輝(ながたにこうき)を訪れて修行を積み、1916年大検校の称号を受ける。1917年、先に上京した吉田に呼び寄せられて東京に赴き、1919年第1回作品発表会を東京・本郷中央会堂で、第2、第3回を東京音楽学校奏楽堂で開く。彼の才能は葛原(くずはら)しげる、高野辰之(たかのたつゆき)、山田源一郎、田辺尚雄(たなべひさお)ら洋楽系作曲家、評論家、学者などに注目され、助言や後援を受ける。1920年、本居長世(もとおりながよ)と協同で新作発表会を「新日本音楽」と銘打って開く。放送やレコード活動、さらに1923年から尺八家の初世中尾都山(なかおとざん)と組んで各地を演奏旅行し、その名声は全国的に広まった。またフランスのバイオリン奏者ルネ・シュメーは宮城の『春の海』(1929)を編曲して宮城と合奏し、それをレコードに吹き込み、世界的名曲ならしめた。1930年(昭和5)東京音楽学校講師、1937年同校教授となる。1948年芸術院会員。1950年NHK第1回放送文化賞受賞。1953年フランス、スペインの国際民族音楽舞踊祭に日本代表で参加し、絶賛を浴びた。昭和31年6月25日、関西への演奏旅行の途上、東海道線刈谷(かりや)駅付近で夜行列車から転落し、死亡した。
 宮城の功績は、箏曲の伝統に根ざしつつ洋楽を取り入れ新しい日本の音楽を創始した点にある。1921年に考案した十七絃(じゅうしちげん)を用いた大編成の合奏曲から童曲まで、作曲作品は300曲を超える。代表曲に『秋の調(しらべ)』(1919)、『落葉の踊り』(1921)、『さくら変奏曲』(1923)、『越天楽変奏曲(えてんらくへんそうきょく)』(1927)、『虫の武蔵野(むさしの)』(1932)、『道灌(どうかん)』(1936)、『日蓮(にちれん)』(1953)などがある。
 後継者に宮城喜代子(きよこ)(1905―1991。道雄の姪(めい)で、のちに養女。重要無形文化財保持者)があり、1951年(昭和26)に組織化された箏曲「宮城会」の主宰者を務めていた。また道雄没後の1978年には、宮城道雄記念館(東京都新宿区中町)が設立された。[平山けい子]
『吉川英史著『宮城道雄伝』(1979・邦楽社) ▽吉川英史・上参郷祐康著『宮城道雄作品解説全書』(1990・邦楽社) ▽小野衛著『宮城道雄の音楽』(1987・音楽之友社) ▽千葉潤之助、千葉優子著『宮城道雄音楽作品目録』(1999・宮城道雄記念館)』

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宮城道雄記念館

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宮城道雄氏略伝

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弁天坂

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袖摺坂

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圓福寺

東京都 新宿区 神楽坂にある圓福寺は、文禄5年(1596年)9月3日、加藤清正公により創建された日蓮宗のお寺です。徳川家・大奥ゆかりのお寺。

圓福寺(円福寺)の由来は、「妙法蓮華経」の功徳により福徳円満の御利益を授かるという意味があります。江戸時代末期、徳川家の祈願所となり、魔・鬼といった因縁を祓った徳川家・大奥ゆかりのお寺です。
明治維新には、江戸城で徳川家および大奥の怨念、魔などを鎮めるために祀られていた夜光鬼子母神・七面大明神・妙見大菩薩が圓福寺に奉安されております。
そのようなご縁から、徳川家の葵紋の使用を認められた由緒のあるお寺です。

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赤城神社⛩

由緒

御祭神/お祀りしている神様

「磐筒雄命」 ( いわつつおのみこと )
「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)は伊邪那岐命のお子神である火の神、迦具土神よりお生まれになった神様で、千葉県香取神宮の御祭神、「経津主神」(ふつぬしのかみ)の御親神に当たらせ給い、智、仁、勇のすぐれたお力をお持ちになり、殖産興業、厄難消除、学問芸術の神又特に火防の神として高い御神徳を発揚せられます。


「赤城姫命」(あかぎひめのみこと)

一説に「赤城姫命」(あかぎひめのみこと)は大胡氏の息女ともいわれていて、
旧別当は天台宗東叡山寛永寺末、赤輝山円明院当覚寺(江戸名所図会には東覚寺と記載)で同寺の本地仏は乗馬姿の地蔵尊でありました。
かつての神仏混淆の頃、赤城大明神の御神影であると称して当覚寺から氏子中へ頒布したことがあるので、今なお折々氏子中の旧家に散見されるため、当社の祭神である「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)とはかかわりはないが、合殿とされています。
【例祭日】

9月19日(毎年)

【御由緒】

伝承によれば、正安2年(1300年)、後伏見天皇の創祀に際して、
群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、
本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。

その後、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたります。

天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、
「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称されました。
この三社による祭礼の際における山車、練物等は江戸城の竹橋から内堀に入り
半蔵門に出ることを許されていました。

その後、明治6年に郷社に列することになります。
しかし、街の発展に伴い電柱や電燈などの障害物ができたので、
盛観を極めた山車行列は明治32年の大祭が最後となりました。

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赤城神社 再生プロジェクトについて

赤城神社再生プロジェクトは、平成二十二年九月の「本殿竣工例大祭」で全ての工事を完了、戦後復興出来ずにいた、神楽殿は「蛍雪さま」、出世の「おいなりさん」、病気平癒で人気の「八耳さま」、東照宮の「葵さま」まで全てが再興されました。

大鳥居をくぐり、参道入口の高木の下にある手水舎で心を清め、水の冷たさと何か柔らかな風を感じ、御神前に向かい、お祈りをするとたとえようのない神様の声が聞こえてくるような御神域となりつつあります。

かつて近代の神社に対して求められた役割は、政治的・社会的に地域共同体における精神的な支柱として人々の心の拠り所となることでしたが、今の神楽坂の現況を見ると、観光的ご参拝が増えることで、新しい神社に価値を見出してくれるよう、他の宗教法人とは独立した立場をとらざるを得ないことが多くなりました。「あかぎカフェ」「あかぎ寄席」「あかぎマルシェ」はその工夫のひとつで、慌ただしい日常から「ヒトイキ」つける場所として定着しつつあります。

そして六十五年後には集合住宅を取り除き、再び境内の緑地を深い森として蘇らせ、静寂な御神域を守っていく息吹の長いプロジェクトです。是非ともあたたかく見守っていただきたいと考えます。

赤城神社 宮司 風山栄雄

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筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)

東京都新宿区筑土八幡町にある神社。江戸時代までは筑土八幡宮と呼ばれていた。

由緒

当神社は嵯峨天皇の時代(809年 – 823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であるといわれている。その後、円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を立て(850年前後)、伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという。その後、文明年間(1469年 – 1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、この地の鎮守とした。上杉朝興の屋敷付近にあったという説もある。

元和2年(1616年)にそれまで江戸城田安門付近にあった田安明神が筑土八幡神社の隣に移転し、津久戸明神社となった。その後、1945年に第二次世界大戦による戦災で全焼。明神社の方は千代田区九段北に移転し、築土神社として現在に至る。八幡神社の方は現在でも当地に鎮座している。

境内社

宮比神社
御祭神は、宮比神で大宮売命(おおみやのめのみこと)・天細女命(あめのうずめのみこと)ともいわれる。古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを、明治四十年に現在地に遷座した。現在の社殿は戦災で焼失したものを飯田橋自治会が昭和三十七年に再建したものである。平成十四年飯田橋自治会の人々が浄財を集めて再建したものである。

文化財

石造鳥居 – 新宿区登録有形文化財(建造物)
階段状の参道途中にある、新宿区内最古の鳥居。享保11年(1726年)、当時常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納された。総高は375cmである。
庚申塔 – 新宿区指定有形民俗文化財
寛文4年(1664年)造立、太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点が、きわめて珍しいという。
田村虎蔵の顕彰碑 – 唱歌『金太郎』『浦島太郎』などを手がけた作曲家。当神社の裏手に住んでいた。1965年に建立。

 

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庚申塔(解説は上記)

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田村虎太郎をたたえる碑(金太郎作曲者)

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兵庫横丁

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神楽小路

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神楽坂下に便利な、 B3出入口

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アクセス図
路線図

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交通のご案内
電車での行き方

◆東京メトロ 東西線 神楽坂駅下車
神楽坂口を出てすぐ
矢来口より徒歩3分

◆都営地下鉄 大江戸線 牛込神楽坂駅下車
A3出口から徒歩2分

 

 

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

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