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天正18年(1590年)石田三成の水攻めにも耐えた、行田の「忍城(おしじょう)」によりみち🏯

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「古代蓮の里」行田は、かの有名な、石田三成の水攻めにも耐えた「忍城おしじょう」がある。以前、忍城を舞台にした映画「のぼうの城」も観たが、今回の日帰りのたびでは、蓮と城をみることにした。私には難攻不落とは思えない忍城だが、直接みると堅固な感じの城のように思われた。古代蓮と城の取り合わせ。ぜひ、よりみちをおススメします。

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浮き城と言われた「忍城」を訪ねて🏯

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忍城に関する歴史🏯

忍城の築城

戦国時代,行田周辺の武蔵武士の中から、現在の熊谷市上之を本拠地とする成田氏が台頭し、忍城(おしじょう)を築城しました。
文明11年(1479)の古河公方足利成氏(あしかがしげうじ)の書状に「忍城」、「成田」とでてくることから、このころには築城されていたと考えられます。
当時の城主は成田顕泰(なりたあきやす)といい、以後親泰、長泰、氏長と四代にわたり、天正18年(1590)まで、約百年のあいだ成田氏が忍城主でした。

永正6年(1509)、忍城を訪れた連歌師の宗長は、城の四方は沼にかこまれていて、霜で枯れた葦が幾重にもかさなり、水鳥が多く見え、まことに水郷である、と日記に書いています。
忍城の築かれた場所は、北は利根川、南は荒川にはさまれた扇状地で、小さな川が乱流するとともに、伏流水が寄り集まって広大な沼地となっていました。そこに残る島や自然堤防をたくみに利用して、忍城が築かれました。

石田三成の水攻め

天正18年(1590)年3月、豊臣秀吉は関東平定のため、そのころ関東を支配していた北条氏の拠点である小田原へ出陣しました。忍城主の成田氏は北条氏に属していたため、秀吉方の武将、石田三成によって攻められることになりました。
6月5日、三成は地形や季節を考えて水攻めを計画し、約1週間で延長28キロにもおよぶ堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れるという大作戦をおこないました。
しかし、城が沈まなかったため、これを見た人々は城が沈まないのは浮くからだと考え、忍城は「浮き城」として、その名を轟かせました。現実には、忍城の地形がまわりよりも少し高かったため、沈まなかったと考えられます。
その後堤は切れてしまい、水攻めは失敗に終わりました。忍城の戦いは小田原城が7月6日に開城した後も続きましたが、最終的には開城して7月14日に豊臣軍に引き渡されました。
三成の築いた堤は、市内堤根地区に「石田堤」として、今も一部がのこっています。

 

江戸時代の忍城

  • 城のイラスト に対する画像結果

天正18年(1590)徳川家康が関東に入ると、家康の四男松平忠吉が十万石で忍城に入城します。
以後江戸時代をつうじて、忍城には徳川の譜代や親藩の大名が城主として入りました。
寛永16年(1639)に幕府の老中であった阿部忠秋が五万石で城主となると、忍城と城下町の整備がはじめられました。
元禄7年(1694)、孫の阿部正武のときに十万石となり、元禄15年(1702)には御三階櫓(ごさんかいやぐら)が完成し、名実ともに忍藩十万石の城としてのかたちが整いました。
文政6年(1823)に阿部氏が福島県の白河へ移ると、忍城には三重県の桑名から松平忠堯(まつだいらただたか・奥平松平氏)が入り、以後明治維新まで松平氏が城主でした。
現在の御三階櫓は昭和63年(1988)に再建されたものですが、江戸時代の忍城ゆかりの遺品として、時鐘(じしょう)があります。この鐘は、享保2年(1717)伊勢桑名藩主松平忠雅によって鋳造され、文政6年(1823)に松平氏が桑名から忍へ移封されるのにともなって、忍城へ移されたものです。もともとはお城の二ノ丸にあって、時の鐘として時刻を知らせていました。
現在忍城址の鐘楼につるされた鐘は、平成4年(1992)に再造されたもので、本物は郷土博物館に展示されています。毎年大晦日の夜には、この鐘の音が除夜の鐘として、市内に響きわたります。

城下町行田

行田(ぎょうだ)は忍城の城下町として発展してきました。
東西に走る本町通り(絵図中央の大通り・現在の国道125号線)と、本町通りから南にのびる新町通り(あらまちどおり・絵図右側の縦にのびる通り)に面して、さまざまな町屋がありました。この通りは、日光参詣の脇往還で、鴻巣から館林にぬける街道でもありました。
二つの通りの交わる交差点には、高札場があり、その付近には本陣・脇本陣がありました。
また、本町通りの東で南にわかれる通りは、大工町ともいわれ、阿部氏の忍城修築のとき集めた大工さんたちが住んだことから、その名がついています。

足袋

足袋

行田市には、明治時代から昭和時代に建てられた、200戸とも言われる蔵が存在しおり、市の中心部には“足袋蔵”と呼ばれる足袋の商品倉庫を中心に、足袋工場や店蔵、住宅などが数多く残されています。 また、武蔵野銀行行田支店店舗、十万石ふくさや行田本店店舗、大澤家旧文庫蔵などが国登録有形文化財に登録されています。

→ 「足袋蔵と行田市の近代化遺産」 パンフレット

行田の足袋は、江戸時代の中頃から旅行や作業用として作られてきました。 明治時代になるとミシンが使われるようになり、足袋の生産量は増大しました。 昭和13年には最盛期を迎え、年間約8,400万足を生産、全国シェアの約8割を占めるまでになり、“足袋の行田”として有名になりました。 また、平成27年には行田市郷土博物館が所蔵する「行田の足袋製造用具及び製品」が国登録有形民俗文化財に登録されました。

足袋蔵

さきたま古墳群

「金錯銘鉄剣」が出土したことで全国に知られている「稲荷山古墳」や、日本一の規模を誇る円墳「丸墓山古墳」など、9基の大型古墳が残されています。約30haの古墳公園内には、はにわ作りを体験できるはにわの館や埼玉県立さきたま史跡の博物館などもあり、古代のロマンを堪能できるスポットとして親しまれています。

また、付近には関東の石舞台といわれる「八幡山古墳」など、多くの史跡があります。
→ さきたま史跡の博物館 外部リンク
→ 行田市はにわの館 外部リンク
→ 八幡山古墳 外部リンク

はにわの館 丸墓山古墳,稲荷山古墳,八幡山古墳

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御三階櫓

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東門

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忍城の戦い(おしじょうのたたかい)

成田氏の本拠である武蔵国忍城(後の埼玉県行田市)を巡って発生した戦いである。

この城を巡っては、忍氏との文明年間(1469年から1487年。または延徳元年(1489年))の戦い、古河公方足利政氏との享禄年間頃(1531年以前)の戦い、関東地方において勢力を拡大しつつあった後北条氏関東管領上杉氏との対立抗争に伴い発生した天文22年(1553年)と永禄2年(1559年)の戦い、豊臣秀吉小田原征伐に伴い発生した天正18年(1590年)の戦いなど、数度にわたって攻城戦が繰り広げられたが[1]、本項目では、天正18年(1590年)6月16日から7月16日にかけて行われた戦いについて詳述する。

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忍城の戦い

経緯

成田氏代々の居城であった忍城関東七名城に数えられる程の城であった。豊臣秀吉四国征伐九州征伐長宗我部氏島津氏を配下とすると、天下統一に向け今度は関東平野に広大な領土を獲得していた後北条氏に目を付けた。秀吉は徳川家康を介して上洛を促すが北条氏政は拒否し、小田原攻めが決定した。この報を聞いて成田氏当主・成田氏長成田泰親小田原城に詰め、忍城には成田泰季成田長親甲斐姫らが籠城することになった。

水攻め前

豊臣軍北条方支城を次々と落として小田原へ向け進軍し、その途上にある忍城も攻略しようとした。6月17日に三成は丸墓山古墳に陣を構え、忍城を包囲したが忍城は河川として有効的に利用した堅城であり、豊臣軍は攻めあぐね。しかし、籠城側ではこの包囲が始まってすぐに成田泰季が病死し、代わりに成田長親が指揮を任された。

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忍城の戦い

水攻め

現在の石田堤

豊臣方の石田三成は城攻めが上手くいかないので地形を鳥瞰して研究し、備中高松城の戦いに倣って水攻めにしようと考え付いた。しかしこれには異説があり、実際は秀吉が指示したともされる。こうして三成は近辺の農民などにや金銭を与えて突貫工事を行い、5日という短期間で全長28キロメートルにもなる石田堤と呼ばれる堤防を築き、利根川の水を利用した水攻めが始まった。ところが大方の予想に反して本丸が沈まず、まるで浮いているかの様に見えたことから忍の浮き城と呼ばれた。

6月18日、降り続いた豪雨の影響で本丸まで水没しそうになったが、これを防ぐ為に下忍口守備の本庄泰展は配下の脇本利助坂本兵衛らを堤防破壊に向かわせた。二人は夜半に城を抜け出し、堤防を2箇所破壊、これにより大雨で溜まりに溜まった水が溢れ出し、豊臣軍約270人が死亡、これにより水の抜けた忍城周辺は泥沼の様になり、さえ立たない状況になった。

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忍城の戦い

援軍の到着と総攻撃

6月下旬には三成が城攻めに苦戦していると聞いて浅野長政真田昌幸信繁父子らが6,000の兵で援軍にやってきた。援軍が到着してすぐに城を守っていたはずの成田近江守市田太郎が長政に内通の密使を遣わし、「ひそかに城門を開いて城内に兵を引き入れる。」と申し出てきたが、功を長政に奪われることを恐れた三成は長政に「もっと確実な内通の約束があるので、貴殿は行田口へ向かってくれ」と言って長政を騙し、この申し出を拒否した。

7月1日、何も知らない長政は行田口に近づき、驚いた城兵に猛攻を加えられ敗走した。

7月5日、一気に城を落とすため総攻撃が計画された。下忍口から石田三成、長野口から浅野長政、佐間口から大谷吉継が攻撃を仕掛ける予定であったが、焦った三成は抜け駆けし、それを知った長政は激怒し長束正家隊と共に夜営していた成田方を蹴散らして行田口に殺到した。行田口は今村佐渡守島田出羽守が守備しており、これをよく防いだ。行田口が猛攻を受けていることを知った正木丹波守は浅野・長束隊の背後に回り込み攻撃、600近い損害を出して長政らは敗走した。佐間口を攻撃していた吉継も苦戦し、前に進めなかった。その所へ正木丹波守隊が突撃、大谷隊は撤退した。抜け駆けした下忍口の石田三成は、城壁を背に背水の陣を敷いた守将・酒巻靱負に死者300、負傷者800という大損害を与えられ大敗、撤退を余儀なくされた。こうして一丸となった成田軍を前に忍城総攻撃は失敗した。

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忍城の戦い

開城

しかしこの日、小田原城が降伏・開城し後北条氏は滅亡、他の北条方の支城もことごとく落とされ、未落城の城は忍城のみとなっていた。小田原落城に伴い秀吉に降伏した氏長は使者を忍城に送り、北条氏が滅亡したことを告げた。これを聞いて長親らは会議を開き、開城することで意見がまとまるかのように見えたが、三成ら攻城軍が提示した条件の内、「退城の際に運び出せる荷物は一人につき馬一頭分」という内容に城兵や家臣らは反発、再び篭城する構えを取った。この報を受けて秀吉は「彼らの言うことはもっともだ。自由にさせてやれ」と発言、これによって7月16日、忍城は開城した。

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御三階櫓(行田市郷土博物館)

忍城には江戸時代、天守に相当する御三階櫓が築かれていましたが、明治時代に破却されました。
1988年(昭和63年)、本丸跡に行田市郷土博物館が建てられ、その一部として御三階櫓が再建されています

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時鐘

忍城の数少ない遺構として、時鐘(じしょう)があります。
この鐘は、1717年(享保2年)に伊勢桑名藩主・松平忠雅によって鋳造され、1823年(文政6年)に松平氏が桑名藩から忍藩へ移封されるのにともなって、忍城へ移されたものです。
忍城の二ノ丸にあり、時の鐘として時刻を知らせていました。

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行田市郷土博物館

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忍城通り

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 アクセス地図

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

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