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上越新幹線「Maxとき」🚄で行った、新潟総鎮守・白山神社に日帰りのたび!!

%e3%82%88%e3%82%8a%e3%81%bf%e3%81%a1%e3%83%ad%e3%82%b4-01 %e3%83%98%e3%83%83%e3%83%80%e3%83%bc-13 新潟県内、観光地は私にとって意外と行ってないエリアだ。今回、上越新幹線「Maxとき」🚄で、白山開山1300年の歴史の白山神社や水族館そして、ハマナスが咲く日本海を望める浜辺を堪能してきた!東京駅から2時間の距離にある新潟を、もう一度行ってみたいと思った🌼

上越新幹線「Maxとき」で行った新潟市内観光🚍日帰りのたび🚄

 

東京駅停車中の上越新幹線「Maxとき」🚄

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特別天然記念物トキ🐦

所在地:地域を定めず(主な生息地:新潟県) 指定の経緯: 昭和9年(1934) 12月28日天然記念物指定、27年(1952) 3月29日特別天然記念物指定(基準:動物(2)) トキ (※写真をクリックすると大きな 画像をご覧になれます)  トキ科の1属1種。全長75cm・翼長40cm・翼開長140cm・体重3kg。黒くて17cmもあるくちばしが下方へわん曲。顔の皮膚が裸出した部分と脚は赤い。 後頭に白くて長い冠羽。体の羽は純白。風(かざ)切羽(きりばね)や尾羽はオレンジ色がかった美しい淡紅色、いわゆる「朱鷺(鴇)」色。 生後2~3年で成鳥になると、1月末ころから、顔の裸出部の周囲の皮下から分泌される黒い液を羽にこすりつけて灰色に染め、繁殖期に備える。 3月中旬、主に雄がケヤキ・アカマツなどの高木に、木の枝・落ち葉・枯れ草・コケなどで直径50~100cmの巣を作る。4月上旬に卵を2~4個産む。 抱卵28日で孵化が始まり、すべて孵化するのに7日かかる。60日で巣立つ。抱卵・育雛は雄と雌が共同で行う。 山間の湿地や水田で、小魚・カエル・サワガニ・貝・昆虫などを捕食する。 ついに平成7年(1995)、日本産のトキは雌の「キン」1羽だけになった。そして11年(1999) 1月、中国から日本へ雄の友(ヨウ)友(ヨウ)と雌の洋洋(ヤンヤン)が贈られた。 5月に産卵、人工孵化によって優優(ユウユウ)が誕生。その後順調に増えていた15年(2003)の 10月10日「キン」が老衰のため死に(推定36歳、人間なら100歳くらい)、 日本産は絶滅。現在39羽。

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トキの歴史

●奈良時代にトキが初登場! ・はじめてトキの名前が歴史上に現れるのは奈良時代のことで、日本書紀に桃花鳥として登場し、「ツキ」、「トキトリ」と読みがふられていました。平安時代には、鴇の字が現れ「ツキ」、「タウ」と読まれていました。また中国名の紅鶴という呼び名も伝わってきました。 ・平安時代には、刀の柄の飾りとして、鎌倉時代には、弓の矢羽に使われていました。また当時の食料の記録にもトキの名前が出て行きます。 ●全国からトキの記録が集まる ・八代将軍吉宗の時代に各地の大名から集められた産物帳の記録から、トキが全国に広く分布していたことが分かります。 ・トキは各藩の大名にも好まれ、茶道で使う羽箒や釣りの毛針として利用されたほか、加賀(石川県)や阿波(徳島県)、淡路(兵庫県)、安芸(広島県)の大名がトキをつかまえて領地へ放したという記録もあります。 ・狩猟は限られた人数の大名たちの特権であったため、結果的に狩り場は鳥や獣の保護区となっていました。 ●国際命名規約にもとづく学名がつけられる ・出島のオランダ商館の医者だったシーボルトが、日本産のトキの剥製をライデン博物館に送りました。この標本にテミンク館長が Ibis nippon(Temmick,1835)の学名を付け、 種として認定されました(後に属名が変更され Nipponia nippon となりました)。 ●銃猟による捕獲と絶滅 ・明治時代に入り狩猟が庶民に解禁されると、狩猟人口が増えるのと引き換えにトキの数は減少しました。大正時代に入っても狩猟は続き、個体数はさらに減少し、一時絶滅したと考えられていました。 ●トキ再発見と個体数の減少・保護 ・1930 年に佐渡島(新潟県)でトキが再発見されました。 ・1934 年に天然記念物に指定され、1952 年には、特別天然記念物に格上げされました。 ・1960 年には、世界的にも希少な種であることが認知され、国際保護鳥に指定されました。 ・1967 年にトキ保護センターが建設され、保護されたトキを飼育しはじめました。 ●国内での野生絶滅と中国での再発見 ・トキは、東アジアに広く分布していましたが、生息環境の湿地の開拓や狩猟により、ロシアや韓国で絶滅、日本でも全個体数が 9 羽に減少したため、1979 年には野生個体を全鳥捕獲し、人工増殖により保護することが決まりました。 ・1981 年、佐渡島に残った全個体(オス 1 羽、メス 4 羽)を捕獲し、トキ保護センターで人工飼育されことになったため、この時点で国内での野生のトキはいなくなりました。 世界中のトキが絶滅してしまったのではないかと心配されたこの年、中国の陜西省洋県、トキの営巣が確認され、まだ野生絶滅していないことが分かりました。その後、中国では、残っていた野生のトキの保護と人工増殖による個体数の回復が進み、1989 年に 世界初の人工増殖に成功しました。2012 年には 1,600 羽以上に回復しました。 ●人工増殖の試みと日本最後の野生トキ「キン」死亡 ・国内ペアでの増殖(ぞうしょく)は難しく、中国から借りたトキとの間での増殖を試 みましたが成功しませんでした。2003年、キンと名付けられた国内最後のトキが死亡し、 日本で生まれたトキはいなくなってしました。 ●人工増殖の成功と野生復帰をめざした放鳥開始 ・中国のトキと日本のトキは、遺伝的に同じ種の一つの群れであることが確かめられ、 改めて中国のトキを借りて人工増殖し、野生復帰を目指すことになりました。 ・1999 年、中国から譲り受けた飼育下のつがいに初めてヒナが誕生すると、その後順調 に増え、2007 年には約 100 羽になりました。 ・2008 年から、野生復帰へ向けての放鳥が始まりました。2008 年に 10 羽、2009 年に 19羽、2010 年に 13 羽、2011 年に 36 羽それぞれ放鳥されました。 ・地元では、餌場となる水田に農薬は使わないこと、巣に近づかないことなどのルールを決め、またドジョウなど餌となる生物の豊富な水辺をつくったり、また巣をつくりやすいように樹木を残したり、トキが生活しやすい環境つくりを進めました。 ・2010 年、放鳥されたトキが、つがいになり巣をつくり産卵まで進みましたが、天敵のカラスに巣をおそわれたり、無精卵のため孵化しなかったり、成功しませんでした。 ・2012 年 5 月、放鳥されたつがいから、次々にヒナが誕生し、3 組のペアから全部で 8 羽のヒナが巣立ちました。野外でヒナが巣立ったのは、実に 38 年ぶりのことです。

提供:環境省 協力:自然環境研究センター

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東京駅隣ホームの秋田新幹線、新型こまち

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燕三条駅から新潟駅の間、弥彦山(634m)がみえる山⛰

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新潟駅到着🚉

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特急いなほ、秋田行き、停車中

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JR新潟駅前、繁華街

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新潟市街角歴史案内

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市内観光地循環バス🚍

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新潟総鎮守 白山神社⛩

周辺案内図

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白山公園案内板

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新潟市街角歴史案内板

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忠犬タマ公物語犬🐕

主人の命を2回救った、立派な犬のものがたり。 昭和の初め、早出川のほとり(旧川内村)の猟師の家に、柴犬のタマは生まれました。飼い主の刈田さんは、素直で賢いタマを可愛がり、猟に出掛ける時はいつも一緒です。元気に野山を駆け巡り、タマはりっぱな猟犬に育ちました。 昭和九年二月五日、刈田さんは猟仲間の小泉さんと、いつものようにタマをお供に八滝沢へでかけました。獲物は鳥か獣か。タマは雪の中でもにおいをかぎつけて、茂みに飛び込みます。タマに追われて飛び立つヤマドリに、二人は鉄砲をかまえました。「ダダーン!」・・・とその時。大きく鳴った銃声が衝撃となって雪がくずれ、ものすごい雪崩となって二人を襲いました。 あっという間に雪に埋もれ、身動きもとれない刈田さん。上の方で、タマが雪を掘る音がします。「タマー、タマー」と懸命に呼びかけました。刈田さんの声に応えるように、雪を掘るタマ。ついに刈田さんの頭は雪の外へ・・・。 タマは両足を血だらけにしながらも掘り続け、刈田さんは脱出することができました。 一緒に行った小泉さんは、タマの活躍もむなしく、かえらぬ人に・・・。山をおりるタマも悲しそうです。タマの活躍ぶりは新聞で報じられ、主人の命を救った忠犬と褒めたたえられました。 それから約二年たった、昭和十一年一月十日。刈田さんは、近所の人たち三人と桜谷へムジナを狩りに行きました。もちろんタマも一緒に、雪の積もった山を分け入って行きます。両側の山は急斜面です。ふと危険を感じた刈田さん。「みんな、頂上の林まで上がれ!」と、叫びました。 しかし、足下の雪がグッと無気味な音をたてたかと思うと、「ドドドーッ!」。雪けむりをたてて落ちる雪崩に、一瞬のうちに四人とタマは押し流されていました。 ゴロゴロと転がるタマ。でも、大好きな刈田さんを助けようと、立ち上がって雪の上を探し回ります。重たい雪につぶされて、次第に気が遠くなっていった刈田さん。「もう、だめか」と死を覚悟した時・・・「ウーッ、ワンワンワン!」タマがまた助けにきてくれたのです。 果敢に雪を掘るタマ。刈田さんは、またしても九死に一生を得ることができました。 「本当にありがとう、タマ」刈田さんはタマに抱きつき、何度もほおずり。二度の殊勲をたて、 タマは町の英雄になりました。そして今も、タマの主人思いで勇敢な行動は、新潟中の人々に語り継がれています。

このページに関するお問い合わせ先 五泉市役所 商工観光課 〒959-1692 新潟県五泉市太田1094番地1 TEL : 0250-43-3911 FAX : 0250-41-0006 IMG_1314 IMG_1315 IMG_1316 IMG_1317 IMG_1318 IMG_1319 IMG_1321 IMG_1322 IMG_1323

はくさんさまは歯の神様・医療安全の神様

歯の神様 写真 歯の神様 写真

江戸時代中期、最後の女帝として知られる後桜町天皇(1740-1813)が歯痛で苦しんでおりました。女官が白山神社(東京)から持ち帰った神箸(しんばし)と神塩をつけたところ、たちまち歯痛は治ったという。そこから白山神社には「歯痛平癒」の御利益があるとされるようになりました。 歯痛というのは風邪と同様、人間にとって最も身近な病気で、なおかつ万病のもとでありました。歯科医は江戸時代から存在したようですが、当時、歯の痛みは生死に関わる問題だったため、人々は耐え難い痛みを鎮めるため苦しい時の「神頼み」「まじない」として『歯の神様』にお祈りしていたといわれております。 治療技術が十分でなかった時代にはなくてはならない信仰であったとされ、そこから現在では「医療安全」の神様とされております。 特に虫歯の痛みにはご利益があると伝えられております。これは白山の修験者の一人が荒行に耐え成し遂げたと伝えられる「歯痛止め」の業によるものと言われ、虫歯の痛みを和らげたということで、当時の多くの人々から篤い信仰を集めたそうです。 全国にも白山神社の箸を使うと不思議と歯の痛みが治まったという故事がたくさん残っており、宮中では初めて鉄漿(おはぐろ)をつけるときには、白山神社の神楊枝(昔の歯ブラシ)と神塩を使っていたと言われております。全国的に歯の業界や歯ブラシや虫歯対策用品等では知られた神様であります。 語呂あわせから「歯苦散」とも言われ、歯の苦しみが散じるとして、歯の痛みを止めるのに霊験あらたかな神様とされ、白山神社の箸を使うと虫歯にならないという話が残っており歯の悩みのある方々が多く訪れます。 正月には歯科医院や歯科学校の方々が一年の医療安全や患者さんの歯の悩みがなくなるようにと祈願にいらっしゃいます。 境内には歯科大学合格祈願の絵馬なども見られ、歯の信仰が若い世代にも浸透していることがわかります。 歯の生えかわる小さいお子さんから老若男女、たくさんの方がおまいりされております。

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白山神社 本殿

本殿に祀られている神様

<主祭神>
菊理媛大神(白山大神=白山比咩大神)
伊邪那岐命
伊邪那美命
<配祀神>

白山大神と関わりの深い古くより本殿におまつりしている神様

天照皇大神
八幡大神
家内安全、交通安全、厄除け、開運、安産
<合祀神>

明治六年(1873)白山公園造成にあたり、境内(現在の公園)に点在していた神社の神様を本殿にお遷しし、 おまつりした神様

住吉大神
海上守護、大漁満足、和歌の神、子授け
稲荷大神
農産守護、商売繁昌、事業繁栄、芸能上達
天満天神(菅原道真)
学業成就、受験合格、書道の神、芸能守護
出雲大神(大国主命)
国造りの神、縁結び、五穀豊穣、商売繁昌
春日大神
神祇奉祀
鹿島大神
武道の神、武運の神、地震の神、安産
香取大神
武道の神、武運の神、勝運
松尾大神
酒造の神、生産守護、山の神、林業の神
宮地大神
宮地守護(白山神社の宮地の守護)
三峰大神
火除け、盗難除け、病気除け、災難除け
猿田彦大神
導きの神、交通安全、安産、長寿の神
金刀比羅大神
海上安全、幸福開運、医薬、農業の神
淡島大神
医薬、病気平癒、まじない、温泉の神

歴史

白山神社の御祭神、菊理媛大神(白山大神)は別名を、白山比咩(しらやまひめ)大神と言い、加賀の霊峰白山頂上に祀られている女神さまで、 この神様を勧請して新潟の地に祀ったものです。菊理媛大神(くくりひめのおおかみ)は農業の神、海上の神、そして国家、 郷土の守り神として広く人々より尊崇されていました。 菊理媛大神は願うことを正しくよりよい方法でお導きくださり、乱れた糸をくくり整えるように融和され仲を取り持ち和す縁結びの神様であります。 白山神社の建立の年代は永禄(1558~)・天正(1573~)の二度の火災で旧記を失い知ることはできませんが、 延喜(901~)とも寛治(1087~)ともいわれています。しかし、元亀年中(1570~)に、 白山神社別当だった宝亀院住職憲海が五寸の十一面観音銅像、宝剣、鏡を白山神社に安置したことが記録に残っています。 戦国時代には上杉景勝が戦勝の帰途に鏡と啓を寄進。当時すでに大社であったことがわかります。また、 明治元年の神仏混交の禁により十一面観音は宝亀院に引き渡され現存しております。なお明治六年には、政府が公園設置の布達をだすと、 公園を造るため松林の境内に点々と建立してあった摂社・末社を全部御本殿に合祀したため、御祭神が多いのです。 古く、白山神社は式内社に列せられ、延喜式神明帳に「越後国 沼垂郡船江神社」と記されております。また、大正十三年には県社に昭和五十六年には別表神社に列せられ昇格いたしました。 本殿は正保元年(1644)宝亀院住僧賢尊が再興を計画、長岡藩主牧野氏が自ら造営を監督し、正保四年六月十八日に三軒流造の本殿が竣工、藩主牧野忠成は能を献じ盛観を極めました。以来、祭日には能楽を奉納する例を開きました。新潟地震の後修理をなし現在に至っております。 拝殿は本殿造営の翌年、慶安元年(1648)の造営と伝えられております。宝永年間(1704~)享保元年(1716)延享四年(1747)には建替、修理の記録が残っております。昭和三十四年十一月には屋根が萱葺であったのを銅板に変え、その際に修理をなし現在に至っております。 境内は白山公園を含み一万坪あり、昔は参道の石橋のところに随神門がありました。
「くくりひめ」の「くく」とは、糸をくくるように人々の願いを聞き入れて下さる神さまであり、男女の仲を、糸をくくり整えるように取り持つ「縁結び」の神さまとして全国的にも有名であります。 はくさんさまは「結ぶ」御力に優れており、家族との絆を結ぶ「家内安全」、志望校との縁を結ぶ「受験合格」、良い取引、仕事に恵まれ結ばれる「商売繁昌」、お金との良い関係に恵まれ結ばれる「金運上昇」「開運招福」などのご利益があげられます。 また、女の神さまであり、繁栄を司り、繁栄の御力に優れ、境内には、子宝、子育て、安産にご利益のある道祖神など由来するものが多数あり、古くより、新潟の総鎮守、氏神さまとして、「子授け」、「子宝」、「安産」、「お宮まいり」、「初宮詣」、「七五三」にご利益があるとされ、毎年、多くのお子様がおまいりに訪れます。 そして、家族の繁栄、「子孫繁栄」、「家内安全」、商売、仕事での繁栄、「事業繁栄」、「商売繁昌」のご利益は新潟市内、県内では有名であります。 はくさんさまは、水を司る神さまでありまして、水には、心身を清める神秘的な力があるとされ、災いや厄など、災難、不幸をはらってくれる御力に富み、おはらいに特にご利益があるとされ、「厄除け」「厄祓」「八方除け」「災難除け」「車のおはらい」など、「おはらいといえば、新潟でははくさんさま」と言われるように、毎年、数多くの方が、おはらいを受けにおまいりに訪れます。もちろん、信濃川より日本海に出る海上の要所の守り神として、また、水の都、堀の張り巡らせた、柳都新潟の守り神として、水を司ることから、「五穀豊穣」「農産守護」「海上安全」「大漁満足」にもご利益のある神さまであります。 白山さまは、家内安全、商売繁昌、交通安全、厄除、建築、工事安全、海上安全、子宝、安産、縁結びの神様として霊験あらたかと言われております。「くくりひめ」の「くく」とは人々の願いを聞き入れて下さる神様、 糸をくくり整えるように男女の仲を取り持つ神様として、全国的にも縁結びの神様として有名であります。 新潟町の生成に深く関わり、湊町新潟の発展する中で、新潟総鎮守として新潟市民はもとより多くの方々に崇敬され現在に至っております。

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隋神門

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本殿

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風鈴まつりのポスター

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御神木「むすびの銀杏」は子授けの木

御神木 写真白山神社の御神木である「むすびの銀杏」は夫婦の二本の銀杏です。古くより恋愛や夫婦仲の願いが実をむすぶようにかなうということで、縁結びの御神木「むすびの銀杏」として信仰されております。 いつのころからか、「むすびの銀杏」にさわると、いいご縁がいただけて子宝に恵まれ、安産で元気に育つということから、「子宝の銀杏」「子授けの銀杏」と呼ばれるようになりました。 夫婦の銀杏はむすびの力により雌雄の木から多くの実を結ぶ御神木です。同じように、お二人を結び、子宝に恵まれるとされております。

 

縁結びの御神木

御神木 写真白山神社には縁結びの御神木「むすびの銀杏」があります。 おまいりするところの左側にありまして、樹齢約200年とされております。 いいご縁がありますように。 あの人と結ばれますように。 より強く二人が結ばれますように。 という恋愛や夫婦仲の願いが実をむすぶようにかなうということで、縁結びの御神木「むすびの銀杏」として、古くより信仰されております。

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風鈴まつりの準備中

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御稲御倉(みしねのみくら)

皇御稲御倉(みしねのみくら) 写真

10月17日

御祭神
御稲御倉神、稲荷大神
御神徳
五穀豊穣、農事安全、商売繁盛

御稲御倉は伊勢神宮第59回式年遷宮に全国民の浄財によって昭和28年伊勢神宮に建立されたものです。 お供えする抜穂の御稲を納めるものでありまして、外宮にはなく内宮にのみ建てられてあるもので ご正宮に比べると小さいですが伊勢神宮独特の唯一神明造であります。当神社が昭和39年の新潟地震において御本殿、 御社殿が倒壊寸前になり宝蔵庫が倒壊し、復興に全力を注いでる中、昭和49年、光栄にも由緒ある御稲御倉を御下賜頂きました。 稲荷大神 = 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 宇迦之御魂神は倉稲魂神とも記され、別名を豊宇気比売神(とようけひめのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、大宜都比売神(おおげつひめのかみ)と申します。 「うか」「うけ」は古く、食物を意味する言葉であり、また、「稲荷」は「稲生り」「稲成り」イネナリ、イネニナルの意味であります。稲荷神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字があてられたといわれております。 「稲」は収穫されて「米」となります。「米」は豊かさの象徴であり、古来より貨幣と同じように扱われてまいりました。貨幣価値を持つ米は、経済に通じるとされ、お稲荷さんは商売繁盛の神として仕事で成功を願う人々の参詣が途絶えません。 米一粒が何倍にも増えることと同じように財が増える、商売繁盛、繁栄のご利益に優れた神様が稲荷大神であります。 このように稲荷大神は、古来より稲作をはじめ、農業の守護、五穀豊穣はもとより、商売繁盛、事業繁栄、子孫繁栄のご利益がある神様として広く信仰されております。 また、2月の初午の日は「福まいり」とされ、特にお稲荷さんの強い力にあずかれるとされ多くの方がおまいりに訪れます。

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はくさんさまはどういう神様ですか

白山大神さまは「菊理媛大神」と申され、別名を白山比咩(しらやまひめ)大神と申される女の神様であります。

白山ひめ大神御神像 白山ひめ大神御神像

  1. 日本書紀に書かれている神様で、伊邪那岐、伊邪那美の夫婦の神様がけんかをしたときにお二人の間に入って、仲を取り持ったという神様で、ここから縁結びの神様と言われているのです。よく女の神様の神社におまいりすると、神様がやきもちを焼いてそのカップルは別れるなどと言われますが、菊理媛大神(白山大神)はけんかしている二人をより強く結びつけた神様ですので、別れるどころかより強く二人を結びつけて下さることでしょう。 ここから「縁結び」の神様、「夫婦円満」「家内安全」の神様とされております。
  2. くくりひめの「くく」は、物事を「くくる」意味で、乱れた糸をくくり整えるように、男女の仲を取り持つ縁結びの神様であります。 私たち日本人は古くより「むすび」を大切にしてまいりました。 結婚することを古くは「妹背(いもせ)の契りを結ぶ」と申して、婚姻を結ぶことは、お二人が夫婦として結ばれるだけでなく、両家のご家族が結ばれ、代々のご先祖さまが結ばれることであります。そうした「むすび」の中で私たちの家は連綿と栄え続けているのです。 人が一番初めに縁を結ぶのは親子の縁であります。 人と人とのつながり、「むすびつき」により私たちは日々、生活しております。 はくさんさまは日々の生活の中でよりよき縁を授けて下さり、より強く結んで下さる神様であります。
  3. くくりひめの「くく」は「ききいれ」とも解され、男女二神の仲取持ちをして、女神の言うことを男神に聞入れ、男神の言うことを女神に聞入れた功により負う名で「聞入れの神」であると言われております(平田篤胤) いつでも、どこでも、あなたが正しく願う誠の声を聞かれると、直ちに「聞入れ」て下さり、一番いい方法で、あなたを救って下さるのです。はくさんさまはお願いを聞入れて下さる神様なのです。
  4. くくりひめの「くく」とは木の祖神「句句廼馳の神」(くくのちのかみ)と申し上げて木がぐんぐん伸びていく様を。また、宇宙の大生命がぐんぐん伸び栄えてゆく生命の勢いを「くく」と表現し、「理」は「天の神を理といい、地の神を気という」と古書にあり、天の神様の事で、「媛」は女神、母性、万物を生み出すという意味であります。伊邪那岐、伊邪那美命は山川草木いきとし生けるものをお生みになった神様で、生命の発展向上を表現された神様で、はくさんさまは万物の生命の弥栄、すなわち繁栄をつかさどる神様です。ご家族にあっては、子孫繁栄、家内安全、また、安産祈願や子授け、子宝祈願、お子様のお宮まいりや七五三で益々のご家族の繁栄を。また、商売、仕事では、事業繁栄、商売繁昌の神様としてもご利益があるとされ、ご利益は多岐にわたっており、新潟市内、県内では有名であります。 管窺武鑑、北國太平記によると、天正十三年(1585)白山島には上杉景勝と新発田重家が戦った白山城(新潟城)があり、城内に白山大神をおまつりし、商人であふれ賑わっていたという記述が見られ、当時より商売繁昌の神として崇められていたのがわかります。
  5. 「くくる」は水を潜る(くぐる)ということから禊祓(みそぎはらえ)の神様でもあります。古くより水には神秘的な力が宿ると信じられ、けがれや汚き心を除き、身を清める、心を清める力があるとされてきました。これは災いや厄など災難、不幸をはらってくれる御力のことであり、厄除け、災難除け、車のおはらいにご利益のあるおはらいの神様であります。
  6. くくりひめさまは女の神さまで生む力と育て成育させる力を持った神様でいらっしゃり、生命の親神様と崇敬されております。白山から流れでる生命の源、水を司り豊富な水資源により北陸の流域に農耕、殖産興業を起こし人々の生活を豊かにして下さいました。境内には米蔵が建ち並び秋には収穫の感謝を込めたお米がたくさん奉納されました。また、神社は湊の先端に位置し燈明は海上の目印となり、海上安全、大漁満足の神様としても崇められておりました。その後、堀が張り巡らされた新潟の湊町を水害から守って下さる水の神様であり、五穀豊穣、農産守護の農業の神様でもあります。境内には、子宝、子育てにご利益のある道祖神など由来するものが多数あり、古くより、総鎮守、氏神さまとして、多くのお宮まいり、七五三のお子様がおまいりに訪れます。
  7. 白山さまは地主神、産土神として新潟町の生成から新潟の発展に御力を尽くされた新潟開拓の守護神、鎮守さまとしての御神徳を発揚される建築、 家造りにもっとも関係の深い神様であります。家を建てる時は工事始めの地ならしをすると同時に土地を祓い清め地鎮祭を行い安住の地といたしましょう。

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燕喜館(新潟県新潟市)

相続や都心回帰によるマンション化の波で、少しずつ消えつつはありますが、新潟の昔からの市街地、信濃川と日本海に挟まれた辺りを歩くと、川から海岸段丘に緩やかに上る道沿いに、今でも、豪壮な料亭や、大きなお屋敷が点在しています。

「燕喜館」も、街中にあった、三代目斎藤喜十郎氏の邸宅の一部を、移築したものです。明治40年頃の建築と推定され、商店部分や店蔵も残っていたそうですが、そちらが老朽化や改築が著しかったのに対して、住宅部分は、建設時の状態が、かなり維持されていたため、その部分を所有者から譲り受けた新潟市が、公園の一郭に再建しました。「燕喜館」という名も、唐の思想家韓愈の「燕喜邸記」にちなみ、斎藤家が命名したままのものを使っています。

外部も内部も、100年という時間を想像できないぐらい、きちんと維持されています。外回りの痛みが少ないのは、雨戸を、こまめに開け閉めしていたことが、理由でないかとは、移築前のことを知る職員のお話。明治まで遡れるかは別として、室内の襖紙、欄間細工なども、すべてが、斎藤家から引き継いだままです。破れなどがあっても、最近設えたとしか思えない状態からは、「斎藤家」が、この家をいかに大事にして来たかが伝わります。

室内の意匠では、さまざまな銘木や細工、明治を彷彿とさせる和室に掛けられたシャンデリア、旧式のガラスなど、屋外では清水焼の灯籠など、お金を掛け、華やかさは伝えながら、それがあまり過度にはなっていません。昔は、どこの町にもいた、建築や文化に精通した、品位ある町家の旦那衆の節度を感じます。

突出した建築的空間がある訳ではありませんが、きちんとした水準の文化を継承して来た町屋の空気、そして、長く伸びた内土間や、和室としてはかなり高い天井など、冬の雪と夏の暑さという相反する気候に配慮した空間を、体験できる建築です。移築に際して新築された部分も、違和感なく設計されています。

惜しむらくは、こういう建築を現地保存できない日本の状況です。街中に残っていれば、新潟市の観光資源としても、新潟の歴史を伝える1級の文化財としても、大きく貢献したことでしょう。今、跡地は、立体駐車場になっているそうです。

余談ですが、「燕喜館」の借景となっている「白山公園」は、日本の都市公園第1号です。

住所:新潟市一番堀通町1-2

電話番号:025-224-6081

見学時間:09:00-17:00

休館日:第1・3月曜日、年始年末

入館料:無料

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Upload:2007.05

参考文献:燕喜館パンフレット

 

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新潟県議会 旧議事堂(重要文化財)

新潟県県政記念館

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アクセス地図

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

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  • 👟佐倉市岩名運動公園クロスカントリーコースに挑戦しています🏃‍♂️

  • 原子力航空母艦ロナルド・レーガン停泊中の横須賀港にヨリミチ🚣‍♀️

  • 佐倉市民ハイキングで伝統的民俗文化、大蛇の魔除け🐍佐倉市「井野の辻切り」を堪能🐍

  • 🌸河津桜が咲きはじめ、梅林坂の紅白梅も綺麗に咲いている皇居東御苑をヨリミチ‼️

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