細川忠興に嫁いだガラシャのいた豊前国・小倉城🏯LCCで日帰りの旅✈️

細川、小笠原氏の豊前国、小倉城。細川忠興に嫁いだ細川ガラシャの運命。九州の要を固めたい徳川幕府。豊前国、小倉城🏯が面白そうなので、成田空港から福岡空港までジェットスター✈で行った。丁度、小倉城で全国の城めぐりシリーズで、BS朝日がロケをしていました。ぜひ、よりみちをオススメします。
小倉城パノラマ写真、左、小倉城、右、八坂神社(旧祇園社)
Contents
- 1 細川、小笠原の豊前小倉城🏯が、おもしろい!!
- 1.1 小倉城案内図
- 1.2 小倉城天守閣
- 1.3 小倉城について
- 1.4 小倉城略年譜(概要)
- 1.5 小倉城所縁のひとびと
- 1.6 小倉細川藩初代城主 細川 忠興ほそかわただおき[1563〜1645]
- 1.7 細川 玉(ガラシャ)[1563〜1600]
- 1.8 小倉小笠原藩初代城主 小笠原 忠真おがさわらただざね[1596〜1667]
- 1.9 宮本武蔵むさし[1582〜1645]
- 1.10 北九州市 小倉城
- 1.11 小倉城・小倉城庭園・松本清張記念館 3施設共通入場券
- 1.12 大手門跡
- 1.13 槻門跡
- 1.14 細川家・小笠原家家紋
- 1.15 小倉城入口🏯
- 1.16 九州の要所、小倉城への街道
- 1.17 小倉城下のジオラマ
- 1.18 小倉城の1日
- 1.19 小倉、祇園祭り
- 1.20 迎え虎
- 1.21 迎え虎、どこからみても真正面からにみえる
- 1.22 送り虎
- 1.23 小倉城、御前会議再現
- 1.24 古船場町山車
- 1.25 殿の1日、講釈師が語る
- 1.26 大名かご
- 1.27 小倉城から江戸まで飛脚で2週間
- 1.28 巌流島の決闘は豊前国、細川忠興の時代
- 1.29 上段は武蔵が使った船の櫂。中段が佐々木小次郎仕様の長刀
- 1.30 現在の巌流島
- 1.31 天守閣4階からの眺め
- 1.32 大手門付近、BS朝日、九州の城シリーズTV撮影中
- 1.33 松本清張記念館
- 1.34 西ノ口門跡
- 1.35 槻門跡
- 1.36 小倉城庭園
- 1.37 左、小倉城、右、八坂神社
- 1.38 八坂神社のはじまり
- 1.39 八坂神社、東楼門
- 1.40 拝殿
- 1.41 社務所
- 1.42 神楽殿
- 1.43 八坂神社、境内
- 1.44 正門
- 1.45 猿田彦社
- 1.46 大鳥居
- 1.47 小倉城アクセス
細川、小笠原の豊前小倉城🏯が、おもしろい!!
小倉城案内図
小倉城天守閣
小倉城について
慶長7年(1602年)、細川忠興公が築城した小倉城
関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地でした。この地を抑えるために繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の歴史も残っています。
小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種や毛利勝信が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。
忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。
細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。
この時期、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に小倉城は一層充実し、城下町も繁栄しました。
小笠原忠苗の時期には、城内下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園もつくられています。しかし、1837年城内から発した火災によって全焼。2年後に再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。
幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となり、その中で小倉と熊本藩は勇敢に戦いましたが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるをえませんでした。
明治10年の西南戦争の際には、小倉城内に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木将軍に率いられて出征しました。
その後は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。太平洋戦争後は米国に接収されましたが、1957年に解除され、1959年市民の熱望によって天守閣が再建されました。
この天守閣は「唐造りの天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積みで、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。
小倉城略年譜(概要)
小倉城所縁のひとびと
小倉細川藩初代城主
細川 忠興[1563〜1645]
関ヶ原の合戦後に小倉に入国し、唐作りと呼ばれる全国唯一の城を築城。
能や茶道にも精通した文化人で、『利休七哲』の一人。
巌流島の決戦が行われた時の藩主。
細川 玉(ガラシャ)[1563〜1600]
明智光秀の娘で細川忠興の夫人。戦国時代に非業の死を遂げる。
忠興が徳川家康の上杉征伐に出陣中、石田三成より人質への要求があるが拒否。キリスト教信者のため自決できず家臣の介錯により命を絶つ。
その後、小倉に入国した忠興により小倉で盛大なミサが行われたと言われている。
小倉小笠原藩初代城主
小笠原 忠真[1596〜1667]
徳川家康のひ孫にあたる。播磨国、明石10万石を経て豊前、小倉に15万石で入国。
黄檗僧・即非を招き、黄檗宗の寺院を創建し、この地方に黄檗文化を広める。
宮本武蔵[1582〜1645]
小倉藩(細川藩時代)の剣術指南役だった佐々木小次郎と巌流島で決闘を行った事が有名。養子の伊織が小笠原藩の家老だったこともあり、武蔵の生涯でもっとも長い7年間を小倉で過ごす。
『吾家は小笠原家に遺し、吾技は細川家に遺す』と語ったと伝えられる。
北九州市 小倉城
慶長7年(1602)細川忠興公が築城した名城、小倉城。当時は「唐造り」とよばれ、全国唯一の珍しいものでした。現在の城は、昭和34年に在りし日の名城を再建したものです。
料金 | 一般 350円 中学生・高校生 200円 小学生 100円 団体割引(30名以上) 2割引き |
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療育手帳・身体障害者手帳・精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方
北九州市の方 無料(付添い1名無料) 市外の方 有料 |
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※詳細はご利用案内をご覧ください。 | |
休館日 | 年中無休 |
開館時間 | 4月〜10月 9:00〜18:00 11月〜3月 9:00〜17:00 (入館は30分前まで) |
〒803-0813
福岡県北九州市小倉北区城内2-1
TEL 093-561-1210
小倉城・小倉城庭園・松本清張記念館 3施設共通入場券
小倉城・小倉城庭園・松本清張記念館の3つの施設に入場できる共通券です。
料金 | 一般 700円 中学生・高校生 400円 小学生 250円 |
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※団体割引はありません。 |
大手門跡
槻門跡
細川家・小笠原家家紋
三階菱
小笠原家家紋
九曜紋
細川家家紋
小倉城入口🏯
九州の要所、小倉城への街道

小倉城下のジオラマ
小倉城の1日
小倉、祇園祭り
小倉城、天守閣
迎え虎
迎え虎、どこからみても真正面からにみえる
送り虎
小倉城、御前会議再現
古船場町山車
殿の1日、講釈師が語る
大名かご
小倉城から江戸まで飛脚で2週間
巌流島の決闘は豊前国、細川忠興の時代
上段は武蔵が使った船の櫂。中段が佐々木小次郎仕様の長刀
現在の巌流島
天守閣4階からの眺め
大手門付近、BS朝日、九州の城シリーズTV撮影中
松本清張記念館
西ノ口門跡
槻門跡
小倉城庭園
左、小倉城、右、八坂神社
八坂神社のはじまり
八坂神社、東楼門
拝殿
社務所
神楽殿
八坂神社、境内
正門
猿田彦社
大鳥居
小倉城アクセス