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LCCで成田空港から関空へ、大阪みどりの100選、泉南の金熊寺(きんゆうじ)と信達神社に日帰りの旅!

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成田空港からLCCで関西空港まで行き、関西空港からレンタカーを使うと大阪市内、和歌山、奈良等、高速道路で結構色々なところに行くことが出来る。今回は、関空の近く、泉南市内の大阪みどりの100選にもある、梅林のある金熊寺と信達神社によりみちをすることにした。

金熊寺(きんゆうじ)泉南市

大阪みどりの100選

「一乗山 金熊寺(きんゆうじ)」は泉南市の山間部東信達地区にあり、和泉西国三十三観音の二十九番札所となっています。
「一乗山」は山号、寺名は「金熊寺(きんゆうじ)」、そして、ご本尊は如意輪観音で真言宗のお寺です。・「一乗山 金熊寺(きんゆうじ)」です。

当山の開基は682年(天武天皇10年)、役行者が夢のお告げにより、土中より6寸の金銅像を得、自らも4寸の木像を刻し、3間4面の堂を建立して安置したのを始まるとする。
寺名は役行者が当寺の鎮守として金峯・熊野の両神を勧請し、信達神社に合祀したことに因むという。
その後、後鳥羽院(1183~98年)の熊野参詣の途上に金熊寺権現社に参拝があるなど、鎮護国家の宏大な堂塔であったと言われる。
鎌倉末期の正安元年(1299年)には永仁の徳政令の煽りで焼き討ちに遭い、諸堂が罹災したが、本尊と薬師堂は焼失から免れたという。1312年(応長2年)、1338年(歴応2年)との修復を重ね、元の形に近い形に戻った。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭ったが、1654年(承応2年)信達村13ヶ村の人々の善意により再興し、現在に至っている。
1691年(元禄4年)の『寺社境内坪数御改帳』には鎮守社(現信達神社)、薬師堂、観音堂、地蔵堂、神主屋敷などを含め境内は4万7400坪余と記され、広大な敷地であったようである。金熊寺は多くの堂、塔頭を総称する一山であったが、現在は塔頭観音院のみが残り、金熊寺の寺跡を継いでいる。

 

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金熊寺(泉南市)

金熊寺入口。
『金熊寺梅林』と書かれた大きな石碑が建てられている。裏山にある梅林は古くから観梅の景勝地としても有名である。

信達神社の境内に建てられている『信達神社由緒』によると金熊寺権現宮の矢野神主が「この地に梅の木を植えなば神領益々隆昌ならん」との神の教えを受け、一族が相議して梅木を植林したのが現在の金熊寺梅林であるとしている。
この矢野神主は前後の文脈から見て、江戸初期の金熊寺を再建した矢野和泉守と同一人物と思われる

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鎌倉末期の正安元年(1299年)には、永仁の徳政令のあおりで焼き討ちに遭い、諸堂が罹災しましたが、本堂と薬師堂は消失から免れたと言われています。
1312年(応長2年)に鐘楼、中門などを補修し、1338年(歴応2年)には足利尊氏によって元に近い形に修復されましたが、1585年(天正13年)には豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭って消失しました。
1654年(承応2年)、信達村13ケ村の人々の善意により再興し、現在に至っているそうです。

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1691年(元禄4年)の『寺社境内坪数御改帳』には鎮守社(現:信達神社)、薬師堂、観音堂、地蔵堂、神主屋敷などを含め、境内は4万7400坪余りと記されており、広大な敷地であったようです。
金熊寺は多くの堂、塔頭(たっちゅう)を総称する一山だったようですが、現在は塔頭観音院のみが残り、金熊寺の寺跡をついでいるそうです。

*塔頭(たっちゅう)とは、一山内にある小寺院、大寺に所属する別坊のことを言います。

 

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信達神社(泉南市)

信達神社は金熊寺の北隣りに鎮座。社伝によると、昔泉南樽井の海岸に神武天皇の神像が出現、奇瑞を表わしたので里人たちは樽井の 地に祀ったが、更に神意を得たため現在の地に社殿を建て遷座したと伝わる。
 古くは金熊寺大権現宮と称し、金熊寺の鎮守社であった。これは682年(天武天皇10年)、役小角が金峯・熊野の両神を勧請し本殿に合祀したもので、当時の信達荘13ヶ村の産土神でもあった。
 天正年間(1572~92年)織田信長豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭い、社殿が焼失したが、
1647年(正保4年)にこの地の豪族で金熊寺権現宮の神主であった矢野和泉守家次により再建され、1687年(貞享4年)岸和田藩から新田6反歩の寄進を受けている。
 『泉南市史』によると、1826年(文政9年)当社祭礼をめぐり、金熊寺観音院と神主矢野佐倉大夫との間で争論があったが、これは当時岸和田藩内で社家・神官の間に寺院から独立しょうとする機運があったが、これがその事件を生んだと考えられている。
 明治初年の神仏分離で当社は金熊寺から独立、信達神社となり現在に至っている。

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参道から拝殿を望む。
その奥に赤く見える建物が本殿。
「金熊寺の梅林と信達神社」は大阪みどりの百選に選ばれている。

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信達神社本殿

神倭磐毘古命(神武天皇)、金山彦命、伊邪那美命を祀る。
五間社流造(桁行5間梁行2間)で江戸初期の1647年(正保4年)の建立。

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御神樹の「ナギの木」

樹高19.5m、幹の周り2.5mで府下最大の巨樹。
2003年(平成15年)大阪府の天然記念物に指定された

 

金熊寺梅林へのアクセス

電車・バスご利用の場合

(地図)金熊寺梅林への交通−電車及び自動車道の路線図

1.JR阪和線ご利用の場合
天王寺駅〜和泉砂川駅で下車(東側の改札口)し、泉南市コミュニティバス(山方面回り)「砂川駅前」から乗車、「金熊寺」バス停下車(乗車時間は7分程度)。
2.南海線ご利用の場合
難波駅〜樽井駅で下車し、泉南市コミュニティバス(山方面回り)「樽井駅前」から乗車、「金熊寺」バス停下車(乗車時間は20分程度)。
3.お帰りの際
「金熊寺」バス停から乗車いただくと、「砂川駅前」を経由し、終着の「樽井駅前」に至ります。

お車の場合

阪和自動車道「泉南インターチェンジ」より左折して約5分。

梅林近くには有料駐車場(500円)があります。

(地図)金熊寺梅林への交通−電車及び自動車道の路線図

お問い合わせ
産業観光課
商工労働観光係
〒590-0592大阪府泉南市樽井一丁目1番1号
電話番号:072-483-8191
ファックス番号:072-483-0206
e-mail:sinkou@city.sennan.lg.jp

お問い合わせはこちらから

 

 

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

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