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北陸新幹線「かがやき」と「ワイドビューしなの」で行った、国宝、松本城へ日帰りの旅!

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今回の日帰りの旅は、東京駅から北陸新幹線「かがやき」で長野経由、「ワイドビューしなの」で松本駅まで行って、国宝、松本城と重要文化財、旧開智学校校舎へ行き、帰りは、特急「あづさ」の千葉行きでグルリと鉄道の旅を満喫してきた。今回の旅の目的は、鉄道と松本城である。天候にも恵まれて、雪をかぶったアルプスの山並みを背景にした松本城が印象的だった。

信州、松本日帰りの旅

当日のスケジュール 

東京駅発、北陸新幹線「かがやき507号」金沢行ー長野駅から、「ワイドビューしなの」-松本駅ー松本城ー旧開智小学校ー松本駅から「あずさ20号」千葉行きで船橋駅下車

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東京駅から北陸新幹線「かがやき」で長野駅で乗り換え

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長野駅から「ワイドビューしなの」で一路、松本駅へ。

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長野駅構内

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停車中の「ワイドビューしなの」名古屋行き。女性の運転手。

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篠ノ井線、普通電車

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松本駅ホーム

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JR東日本、松本駅全景

 

国宝 松本城について

松本城は、三重の水堀に囲まれています。内側から「内堀」、「外堀」、「総堀」と呼んでいます。ただし、本丸の北側では内堀が外堀と接続していて外堀と一体化しています。
内堀に囲まれた中が「本丸」、外堀に囲まれた中が「二の丸」、外堀と総堀の間が「三の丸」です。
本丸には、天守の建物と御殿(本丸御殿)があり、二の丸には、御殿が2棟(二の丸御殿と古山地御殿、のちに古山地御殿の西に新御殿が建つ)と米蔵などの蔵が建ち、西側部分には茶屋などが設けられていた時期もありました。三の丸には家老をはじめとする上中級の藩士の屋敷が置かれていました。総堀の城側には土塁が築かれその上には塀が廻っていて、城内を容易に見通すことはできませんでした。
総堀の外には城下町が広がり、善光寺街道が南から北に通っていました。善光寺街道沿いには町人たちの家が立ち並び、その外側には寺社地が置かれていました。
城への出入り口は5ヶ所あります。大手門には枡形を備え、他の東・北・北不明(あかず)・西不明のそれぞれの門の前には馬出(うまだし)を配しています。この馬出の形は武田氏の馬出の系譜をひいているといいます。城への通常の入り口は東門で、そこから太鼓門、黒門、本丸へと進みました。城下の北部に住んだ武士たちは北門が通用門でした。
これらの城内及び周辺の城下町は、明治時代に大火に見舞われ建物の多くを失いましたが、町筋や町名に当時の面影を残しています。

松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。

 

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日本の文化・城郭建築における松本城の価値

松本城の特徴

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日本アルプスをバックにした天守

現在天守の建物を残す城は12しかありません。そのうち五重の天守は松本城と姫路城だけです。五重天守の実物をみることができるのは2城だけです。

松本城の大きな特徴をあげてみます。

北アルプスを借景にした雄大な景色の中に立つ平城の天守

現存の12城の多くは平山城ですが、松本城は平城で、天守を囲んで三重の水堀が巡っています。バックに北アルプスの山々を借景として、堀に姿を写す天守は、他の城ではみられない絶景です。

黒と白の対比の美

天守建物は、壁面の上部を白漆喰、下部を黒漆塗りの下見板で覆っています。この漆喰の白と漆塗りの黒の対比が絶妙な美しさを醸し出しています。

戦闘に備えた天守と優雅な月見のための櫓

戦国末にあげられた天守に、世の中が落ち着いた寛永年代に増設された月見櫓がついています。月見櫓は舞良戸で三方を開放し朱塗りの刎高欄がまわりをめぐるという優雅なまったく武備がない建築物です。天守の建物に月見櫓が接続しているという造りは松本城だけで、時代によって天守の意味づけが変わってきた様子をみることができます。

外観は五重、内部は六階

外観は層塔型のように下から上に向かって細くなっていっていますが、内部には三階に屋根裏部屋のように外から見えない階ができています。これは乾小天守でも同様で、外観三重ですが内部は四階になっています。この外側から見えない階ができるのは、望楼型と呼ばれる天守に共通することで、松本城は、構造は望楼型でありながら、外見は層塔型のように見える天守になっています。

通柱によって高層化をはかる三・四階の通柱三・四階の通柱

一・二階を通柱で組み立て、その上に三・四階を通柱、五・六階を通柱で組んだものを積み上げていくという構造で、高層化をはかっています。松本城の通柱は天守三階でよくみることができます。

石垣内部に土台を支える柱16本

天守台のなかに、30~40センチメートルの直径で5メートルの材を16本たて、それを貫で繋ぎ、その上に天守の土台を敷いています。現代のパイル工法のような仕組みが施されています。

天守台南・西面の石垣を積むとき、地盤の弱いところの根石が沈みこまないために、筏のように材木を敷き詰め、その上に根石を敷いています。これによって、石垣の石を安定させています。

一階から三階までは、柱が林立

大天守1階の柱群大天守1階の柱群

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国宝、松本城

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松本城のできごと

○1582(天正10)
小笠原貞慶が旧地を回復し、深志を松本と改める。
○1593(文禄2)
石川康長によって松本城天守の工事が始まる。
○1613(慶長18)
石川康長が改易され、小笠原秀政が入封する。
○1615(慶長20)
大坂夏の陣で小笠原父子が戦死する。
○1617(元和3)
戸田康長が入封する。
○1633(寛永10)
松平直政が入封し、以後月見櫓・辰巳附櫓・八千俵蔵などを建設する。
○1638(寛永15)
堀田正盛が入封する。
○1642(寛永19)
水野忠清が入封し、以後水野氏統治の時代に松本城下町の姿が整う。
○1649(慶安2)
松本領内の総検地が始まる。
○1686(貞享3)
全藩的な百姓一揆「加助騒動」がおきる。
○1724(享保9)
松本領内の地誌『信府統記』ができる。
○1725(享保10)
江戸城で刃傷事件を起こし水野家は改易される(松本大変)。
○1726(享保11)
戸田光慈が入封する。
○1743(寛保3)
幕府領5万石を預かる。
○1825(文政8)
大規模な百姓一揆「赤蓑騒動」がおきる。
○1864(元治元)
水戸浪士と和田峠で戦う。
○1866(慶応2)
第2回長州出兵に加わる。
○1868(慶応4)
戊辰戦争で東征軍に加わり北越へ出兵する。
○1869(明治2)
戸田光則は版籍を奉還する。
○1871(明治4)
廃藩置県で、松本県引き続き筑摩県になる。二の丸御殿に筑摩県の県庁を置く。城内の門や塀の破却が始まる。
○1872(明治5)
天守の建物が払い下げになる。市川量造が買戻しに奔走する。
○1876(明治9)
筑摩県庁(二の丸御殿)が焼失する。
○1901(明治34)
小林有也が天守修復に尽力する。
○1930(昭和5)
本丸と二の丸の一部が国史跡に指定される。
○1936(昭和11)
天守が国宝に指定される。
○1950(昭和25)
国の事業で天守の解体修理が始まる。
○1952(昭和27)
文化財保護法に基づく国宝に指定される。
○1999(平成11)
太鼓門が復元される。

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歴代の城主

○石川氏
数正   1590年に和泉国から8万石で入封
康長   1613年に大久保長安事件に連座し改易九州佐伯へ配流
○小笠原氏
秀政   1613年に信濃飯田から8万石で入封 妻「福姫」は家康の孫
忠真   1617年に播磨明石へ転封
○戸田氏
康長   1617年に上野高崎から7万石で入封 妻「松姫」は家康の義妹
康直   1633年に播磨明石へ転封
○松平氏
直政   1633年に越前大野から7万石で入封 家康の孫
1638年に出雲松江へ転封
○堀田氏
正盛   1638年に武蔵川越から7万石で入封 家光の老中
1642年に下総佐倉へ転封
○水野氏
忠清   1642年に三河吉田から7万石で入封 家康生母「於大」の実家筋
忠職
忠直
忠周
忠幹
忠恒   1725年に江戸城内で刃傷事件を起こし改易(松本大変)その後幕府が松本城を収公する
○戸田氏
光慈   1726年に志摩鳥羽から6万石で入封 戸田氏は松本へ再度の入封
光雄
光徳
光和
光悌
光行
光年
光庸
光則   1869年版籍奉還 最後の藩主

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二の丸御殿絵図

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二の丸御殿跡

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松本神社前井戸

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埋橋

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天守からの眺め

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美ケ原高原をみる

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月見櫓

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松本城の背景は真っ白な北アルプスで真ん中の三角の山は、常念岳。

国宝 松本城へのアクセス

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松本市のマンホール
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重要文化財、旧開智学校校舎

沿革

旧開智学校は明治6年(1873)5月6日、筑摩県学を改め学制による小学校として、廃仏毀釈で廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として開校しました。新校舎は明治9年4月に全久院跡地に竣工し、昭和38年3月まで約90年間使用された、わが国で最も古い小学校の一つです。

校舎の建築には、学事を施政の中心にすえ文明開化を強力にすすめた当時の筑摩県権令永山盛輝の命を受け、地元の大工棟梁立石清重が設計施工したもので、現存校舎のほかに30余室の教室棟が設けられており「広大華麗・地方無比」とうたわれた大規模校でした。

工事は、当時のお金で1万1千余円の巨額なもので、およそ7割を松本町全住民の寄附により調達し、残り3割は特殊寄附金及び廃寺をとりこわした古材受払金などで調達しました。

開智学校は後に様々な教育機関に発展し、松本地方の教育センター的役割を果たしました。

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 旧開智学校 案内図

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 旧開智学校 アクセス


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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

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