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唐津湾一望、肥前の国、唐津城(舞鶴城)と、日本の三大松原「虹の松原」をLCCで日帰りの旅!

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初めて佐賀の地をじっくり歩いた。成田空港からジェットスター(LCC)で福岡空港まで行き、そこからレンタカーで高速道路に乗り継ぎ、糸崎経由で唐津へ入った。まず、唐津市内の福岡よりの唐津湾に面した、国指定特別名勝で日本の三大松原の一つである、「虹の松原」はそのスケールの大きさにはびっくりした。虹の松原から海に突き出た、唐津城の眺めは素晴らしい。また、唐津城からの眺めは、最高に美しいと思った。今回も唐津市内の歴史的な散策して、日帰りの旅だ。十分に中味のある旅となった。

唐津城行きスケジュール

成田空港発7:10ー福岡空港着9:20ーレンタカーー高速道路ー唐津、虹の松原ー唐津城ー唐津城下街の散策ー高速道路ー福岡空港発20:00ー成田空港着21:45

 

舞鶴公園案内図

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唐津城

天正18年(1590)天下統一を果した豊臣秀吉は、海外に目を向け朝鮮への侵略支配を企てた。
朝鮮への侵略戦争、文禄・慶長の役(1592~1598)は、ここ唐津より程近い肥前名護屋(現鎮西町、呼子町)を基地とされた。その間全国から大名が集まり肥前名護屋は大阪とならんで日本の政治・外交の中心地となり、わずか5ケ月で築城させた名護屋城は秀吉の権威の象徴とも言えよう。
秀吉が没し(1598)、文禄・慶長の役は終止符を打つこととなる。その後、関が原の合戦(1600)によって支配体制を確立した徳川幕府により、廃城後石垣までの取り壊しを命ぜられた難攻不落の城郭を持つ名護屋城の解体資材を用いて、慶長13年(1608)築城されたのがここ「唐津城」である。

 

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平安末期から当地で活躍した上松浦党最大の一族・波多氏は、朝鮮出兵における失態を理由に文禄2年(1593)、秀吉によって滅亡させられ、五百数十年におよぶ歴史に幕を降ろした。
その後文禄4年(1595)、波多親【はたちかし】の旧領地の代官を任せられたのが豊臣秀吉の側近の1人、唐津藩初代藩主・寺沢広高【てらさわひろたか】である。

唐津城は、その寺沢広高によって7年の歳月を掛け築城された。
時代は流れ、明治の廃藩置県によって廃城となったが、昭和41年(1966)に現在のものとして復元されている。

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唐津湾に面した小高い満島山に配置され、松浦川の流れを引き寄せて南側には堀割【ほりわり】を、東側には河口を開き防御と舟運【しゅううん】の便を図ったその築城技術は唐津城の特筆すべき点であるが、戦と無縁の現代においてはその景観の素晴しさが最大の魅力であろう。

天守閣を鶴の頭に見立て左右に広がる松原が、鶴が翼を広げた形に似ていることから別名・舞鶴城ともいわれている。現存する九州の城において天守閣からのパノラマは最も美しいように思う。

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城をシンボルとして唐津の風光明媚な町並の基礎を築いた初代藩主・寺沢広高の功績は多大なものがあると言えよう。関が原の戦いなどの戦功により天草領四万石を合せ十二万三千石の大名となったが、その後に起こる「島原の乱(1637)」によって寺沢家三代、藩主二代・堅高【かたたか】は天草領土を没収され、藩財政の悪化により自害し寺沢家は断絶した。

しかし、国指定特別名勝・日本三大松原の「虹の松原」は寺沢広高が慶長年間に植林したものであり、約100万本の黒松の群生は潮風を防ぎ、当時からこの地に豊かな農地をもたらすことになった。今でも彼の功績は受け継がれそれと共に素晴しい景勝を残している。

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宝当神社 (佐賀県唐津市)

上記写真の左上にみえる島

唐津は高島というところに、祈願をすれば宝くじが当選すると噂の神社があります。その名は「宝当神社」。唐津市から船で約10分のところに浮かぶところに、その神社はあります。今回は、唐津城から見るだけでしたが、次回は上陸して、宝くじを購入したいと思っている。

高島への船は唐津城のすぐ近くから定期船と海上タクシーが出ています。
定期船「ニューたかしま」は片道200円、海上タクシーは片道500円で運行しています。混雑時は海上タクシーのピストン輸送の方がお急ぎの方にはお奨めです。

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虹の松原

概要

日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、日本の白砂青松100選日本の渚百選かおり風景100選日本の道100選[1]にも選ばれている。玄海国定公園の一部。幅約500 m、長さ約4.5 km にわたって弧状に約100万本のクロマツの林が続く。面積は約216 ha である。海水浴場と隣接することでも知られる。

歴史

17世紀初頭、唐津藩藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、もともとの自然林から防風林防砂林として植樹を行った。藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていた。また、藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理された。

寺沢広高は、この中に自分が愛してやまない松が7本だけあると言ったというが、どの松と指定されてはいない。これは住民に「もし自分が粗末にした松がその7本のどれかだったら」と思わせることで、全ての松を大事にせざるを得ないように、心理的に圧力をかけたものといわれている。

この松原は、その区域の長さから、藩政時代は「二里松原」と呼ばれていた。明治時代に呼ばれるようになった「虹の松原」の語源とも言われているが、呼称が変わった理由などは知られていない。

1771年には、当時天領となっていたことから、農民の反乱である「松原寄り(虹の松原一揆)」の舞台ともなっている。

明治維新以降は国有林に編入、2007年現在は、佐賀森林管理署が管理を行っている。民有地が僅かに点在するものの、ほぼ全域が保安林に指定されており、現在も伐採は制限を受けている。

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

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