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白鳳時代、和銅2年(703年)に開基の、印旛沼「龍伝説」の龍角寺を行く!

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佐倉市の自宅から車で30分走らせ、印旛郡栄町の龍角寺に着いた。ここ龍角寺の開基は古く、白鳳時代の709年と言われている。今は見る影もなく寂れているが、往年は盛んだったと推定される。特に伝説が多い寺はロマンに満ちていると勝手に思っている。日帰りの旅でも、短時間でも「よりみち」感覚で行かれることをおススメする

龍角寺

不増不減の石

龍角寺の七不思議から

不増不減の石

龍角寺境内の塔心礎の柱穴に溜まった水は、大雨の日も日照りの日も増減することがないといわれています。

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龍角寺

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歴史

『佐倉風土記』によれば、

伝、和銅二年、龍女化現、奉金像薬師、来建寺、天平二年、釈命上人再興諸堂、三年天下旱魃、命奉勅説法祈雨、一叟長可八尺、進曰、我小龍常居南池、深浴上人法沢、何惜一躯、請以身換雨、後必見我骸而証之、即是為大龍所罰也、忽然而去、雨従至焉。後七日、果有龍身、分裂三段、頭墜于此、及金字写経、併埋堂下、寺始曰龍閣、於是改龍角。腹墜干印西龍腹寺、其尾墜予香取郡、今大寺村龍尾寺是也。(「利根川図志赤松宗旦著)

和銅2年(709年)竜女が現れ、金の薬師如来像を祀ったのが創建と伝わり、天平2年(730年)釈命上人が諸堂宇を再興したとされる。翌天平3年(731年)国中が旱魃となった時、釈命上人はを奉じを説きを祈った。すると身の丈8ばかりの老人が進み出て、わたしは印旛沼にいる小ですが、深く上人の法沢に浴しております。どうしてわが身を惜しんだりいたしましょう。どうか、身を以って雨に換えさせてください。のち、わたしの死骸を目にするでしょうが、それは大龍に罰せられたのです、といって立ち去った。雨がすぐに降り出した。そして、7日後、3つに裂かれた龍の姿が目にはいった。大龍の許しを受けずに雨を降らせたため、小龍は3つに裂かれてしまったのである。その頭の部分はこの地に落ち、金字で経を写し一緒に堂下に埋め、龍角寺と改称したという。また、龍の腹が落ちた地の寺が龍腹寺(千葉県印西市竜腹寺)、尾が落ちた地の寺は龍尾寺(千葉県匝瑳市大寺)という名前になったという[注釈 1][出典 1]

『佐倉風土記』の伝える上記の草創伝承の当否とは別に、当地には古代から仏教寺院が存在したことは間違いない。発掘調査によって、南大門から入り、中門を抜け、左手に金堂、右手に、そしてその奥に講堂が配されるという、いわゆる「法起寺式伽藍配置」の遺構が検出され、創建瓦は周縁に三重園文のある単弁八葉蓮華文の山田寺式の系譜を持つ軒丸瓦である。関東でもいくつかの寺院跡で山田寺式の軒丸瓦が出土しているが、その中でも最も古い様式をもっており、おそらくその年代は7世紀後半でも古い段階に位置づけることができよう[出典 2]

寺の南には、最後の前方後円墳といわれる浅間山古墳や、畿内大王を凌駕する終末期最大の方墳龍角寺岩屋古墳などがあり[出典 3]馬来田の上総大寺廃寺(千葉県木更津市)、武社の真行寺廃寺(同山武市)、上毛野の山王廃寺(群馬県前橋市)などとともに[注釈 2]国造制から律令制への移行段階に建立された印波国造の領域の初期寺院とされ、畿内以外では最古にあたる寺院と考えられている[出典 2]

龍角寺岩屋古墳は典型的な畿内型の終末期古墳であり、畿内中枢との密接的な関係なしに理解できないという。方墳は用明天皇陵の春日向山古墳や、推古天皇陵である山田高塚古墳をはじめ、蘇我馬子の墓の可能性の高い石舞台古墳といったように、蘇我氏関係の墳墓に採用されていること、さらに規模においてはそれらを凌駕しており、蘇我氏がその造営に深く係っていたと推測される。そして龍角寺の創建瓦も蘇我一族の蘇我倉山田石川麻呂によって創建された山田寺式の瓦を採用していることから、龍角寺の造立者は龍角寺岩屋古墳の被葬者の系譜下にあり、蘇我氏系の氏族であったとする見解もある[出典 2]

寺は中世には衰微していたらしく、承久2年(1220年)上総介平常秀が再建、文明年間(1469年-1486年)、永正年間(1504年-1520年)などに焼失を繰り返し、千葉勝胤が再興したという[出典 4]

戦国時代には千葉氏外護を受け、天正年間(1573年-1593年)には千葉邦胤が修造したと伝える。天正19年(1591年)には徳川家康より20石を与えられている[出典 4]

度重なる火災により古い建物は残っておらず、金堂跡、仁王門跡、塔跡などにより、在りし日の姿をしのぶことができるのみとなっている。

文化財

  • 重要文化財(国指定) – 1933年(昭和8年)1月23日指定
    • 銅造薬師如来坐像 – 頭部のみ白鳳期の作。体部は元禄5年(1692年)の火災後の再鋳である。深大寺の銅造釈迦如来像とともに、関東地方に残る白鳳期の仏像の稀少な例として注目される。奉安殿と称される収蔵庫に収められており、拝観には栄町役場産業課への事前予約が必要。
  • 史跡国指定) – 1933年(昭和8年)4月13日指定
    • 龍角寺境内の塔址 – 現存する花崗岩は、三重塔の心礎(塔の中心を通る柱の基礎)である。またこの心礎は「不増・不滅の石」といわれ、柱が立っていた穴に溜まった水は、大雨でも日照りでも増減しなかったと言い伝えられている。
  • 千葉県指定有形文化財 – 1965年(昭和40年)4月27日指定
    • 龍角寺出土遺物 – 1934年(昭和9年)の塔跡保存工事により発掘された。瓦は奈良時代前期のものといわれている。
  • その他
    • 校倉作り資料庫 – 明治初期の建造で、当初、宮内庁下総御料牧場にあったが、空港建設に伴い境内に移築された。

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拝殿

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龍角寺の「龍伝説」

龍角寺は、元明天皇の時、和銅2(709)年、天から龍女がやってきて、一晩の内に寺の全ての建物を建てたといわれ、初めは龍閣寺といった。その後、奈良の都が作られて20年ほどたった天平3(731)年、聖武天皇の時のことである。
その年は、春から日照り続きで、作物は実らず、人々は困窮していた。聖武天皇は、諸国の神社仏閣に雨乞いの祈願をさせたが、、一向にその効果がなかった。そこで、どこか竜神にゆかりの所はないかと尋ねたところ、ある者が、「下総国埴生(はにゅう)郡に、龍女が一晩で建てた龍閣寺という寺があります」と奏上したので、さっそく龍閣寺に雨乞いの祈願を命じた。
龍閣寺の釈命上人(しゃくめいしょうにん)は、大勢の弟子と共に経を読み、昼夜を問わずに祈り続けた。とうとう結願という日、聴衆の中から進み出るものがあった。それは、身長が八尺(約2.6m)もある老人であった。そして、「私は印旛沼の主です。ありがたいお経のおかげで私のこの世の罪が消滅しました」と言った。上人は、少し怪しみながらも、「あなたは竜の化身なのですね。それなら、慈しみの雨を降らせて人々の苦悩を助けなさい。龍閣寺は竜神が建てた寺なのだから、雨が降らねば面目ない。竜の力を顕しなさい」と答えた。

すると老人は、「今年の旱魃(かんばつ)は、命のある者の原罪になるのでしょう。私は小竜の化身ですから、大竜の許しを得なければ、一粒の雨も降らすことはできません。しかし、ありがたいお経のおかげで身を救われた今、どうして人々の命を軽んじ、この身、この命を惜しみましょうか。もし、私が雨を降らせれば、この命は奪われるでしょう。この身は三つに裂かれ、印旛沼の辺に落ちるでしょう。そうしたら、頭は龍閣寺に、腹は印西の地蔵堂に、尾は匝瑳の大寺に納めて下さい。そして、どうか、私のために祈ってください。」と言ったかと思うと、かき消すように姿が見えなくなった。
すると、天はにわかにかき曇り、稲妻が虚空に響き、ぶ厚い黒雲が空を覆い尽くしたかと思うと、どうっと雨が降り始めた。田畑の作物は息を吹き返し、人々は歓喜の声をあげた。そして、雨は七日七晩降り続いた。雨が止むと、上人は皆を引き連れて印旛沼を訪れた。見ると、老人の話どおり、竜の身体が三つに裂かれ落ちていた。人々は皆、哀悼の涙を流し、約束どおりに、竜の身体を三ヶ所に葬った。その夜、頭を納めた龍閣寺は龍角寺、腹を納めた地蔵堂は龍腹寺、尾を納めた大寺は龍尾寺と名を改め、今でも、人々は龍のために祈り続けている。

【龍角寺縁起より】

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非公開

銅造薬師如来坐像

(どうぞうやくしにょらいざぞう)

銅造薬師如来坐像

種別

重要文化財(彫刻)

指定日

昭和8年1月23日

所在地(所有者)

印旛郡栄町竜角寺239(龍角寺)

概要

龍角寺は、7世紀の後半に創建された下総国内で最古の寺院である。寺伝によれば、和銅2年(709)に竜が現れて創建したと伝えられ、また、天平3年(731)に大干ばつとなり、人々が雨乞いをしたところ、竜が現れて雨を降らせ、7日後、ふたたび竜が現れ頭、胴、尾の3つに分かれて落ちてきたという。頭が落ちたところが龍角寺。胴は、ここから西へ8㎞ほどのところに落ち、そこには龍腹寺(印西市龍腹寺)が建てられ、尾はどういうわけか、はるか東南の匝瑳市に落ち、龍尾寺(匝瑳市大寺)が建てられたという龍神伝説が残っている。

この像は、関東地方にある白鳳仏として、東京都調布市深大寺の銅造釈迦如来倚像(重要文化財)とともに有名である。像高は130㎝、顔の長さは19.7㎝、顔の幅は17㎝で、現在は、全身が揃うが、首から上が白鳳期の作である。龍角寺は、江戸時代の元禄年間(1688~1704)に火災にあったため、この像も首から下が失われた。首から下は正徳年間(1711~1716)に改めて鋳造されたものである。

火災に遭ったために肌がやや荒れているものの、豊満な耳、切れ長の目、眉から鼻筋にかけての深い線、さらに微笑を帯びた口もとは、白鳳仏のもつ古式の笑みを表現している。

なお、正徳年間に鋳造し直された部分も当時の一級の鋳造技術によって作られており、顔の表現とよく調和している。

 

お問い合わせ

所属課室:教育庁 教育振興部文化財課指定文化財班

電話番号:043-223-4082

ファックス番号:043-221-8126

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拝殿

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拝殿前の巨木

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収蔵庫

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校倉作り資料庫

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金堂跡

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龍角寺古瓦保存塚

 

龍角寺の七不思議 「千葉県栄町公式ホームページ」から

龍角寺の七不思議

龍角寺周辺から現在の房総のむら、坂田ヶ池周辺(成田市)にかけて、不思議な伝説が語り継がれています。「龍角寺の七不思議」をご紹介します。

八つの井戸

八つの井戸 龍角寺・酒直地区の山裾には清水湧く八つの井戸があり、人々は毎日その水を汲みに行っていました。しかし大変不便であったので、ある時、いくつかの家々で近所に井戸を掘ったところ、ことごとく不幸に見舞われたといいます。以来、新たに井戸を掘る者はいませんでした。

片歯梅

片歯梅 昔、坂田ヶ池の堤は度々切れて水害をもたらしました。そこで、梅の実をかじっている子どもを背負った通りがかりの女を人柱にしたところ、堤が切れることはなくなりました。その後、そこに生えた梅の木の実には、どれも子どもがかじったような跡がついているということです。

不増不減の石

不増不減の石 龍角寺境内の塔心礎の柱穴に溜まった水は、大雨の日も日照りの日も増減することがないといわれています。

龍燈腰掛の松

龍燈腰掛の松 慈雨を降らせた印旛沼の竜の裂かれた頭部が、素羽鷹神社の松にかかりました。その後、そこに燈火があがったともいわれていますが、今は枯れてしまったといいます。

三ヶの岩屋

三ヶの岩屋 岩屋古墳とみそ岩屋古墳(一説に上福田岩屋古墳も)の三つの石室を三ヶの岩屋といいます。ここに住む隠れ座頭という妖怪が、冠婚葬祭などに足りない膳や椀を貸してくれていましたが、あるとき返し忘れたことで二度と貸してくれなくなりました。今も龍角寺に返し忘れたという膳椀一組が保管されています。

村雨返しの松

村雨返しの松 昔、龍角寺と南羽鳥の境界に松の木がありました。この松を境に、一方は雨が降っていても、もう一方は晴れている、そんなことが度々あったといわれます。この松も今は枯れてしまったといいます。

親は古酒、子は清水

親は古酒、子は清水 岩屋古墳の南の崖下にある湧水。毎日、自分の稼ぎで父親に酒を飲ませていた親孝行な息子が、稼ぎのなかった日にしかたなくこの清水を汲んで帰りました。すると父親は、これは良い酒だといって大層喜びました。しかし、翌日になって息子が飲んでみると、やはりただの清水であったそうです。

 

このページに関するお問い合わせは産業課です。

栄町役場 4F東 〒270-1592 千葉県印旛郡栄町安食台1丁目2番
【TEL】 0476-33-7713
メールでのお問い合わせはこちら

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

  • ジープ🚗で、満開のネモフィラ、チューリップ🌷咲く国営ひたち海浜公園にヨリミチ💠

  • スクールガードボランティアのお礼に、佐倉市立内郷小学校入学式に招待されました🎒

  • ユリカモメ🕊が乱舞する印旛沼観光船🚤のガイド兼助手にチャレンジ🚤

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