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皇居東御苑の新公開、富士見櫓、富士見多聞と晩秋の紅葉によりみち!

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地元、佐倉市民カレッジの同級生と、紅葉の皇居東御苑を訪ねた。ちょうど、富士見多聞の中が入れるようになり、且つ富士見櫓も近くから見れるようになったりして幸運な歴史散歩だった。皇居東御苑は短時間でも日帰りでも都心でありながら気軽に行ける公園で気に入っている。

皇居東御苑

江戸城の本丸及び二・三の丸に該当します。本丸は将軍の居所や政務をつかさどる御殿が建ち並び、二の丸には将軍別邸や世継の御殿がありました。
明治維新後の明治5年(1872)に本丸・西の丸・吹上など旧江戸城内郭が皇居と定められました。昭和35年(1960)より皇居の付属の庭園として整備され、昭和43年(1968)から一般開放されています。
園内には天主台や富士見櫓・多聞をはじめ旧江戸城を偲ばせる建物、遺構が残されています。また、平成5年三の丸尚蔵館が開館し、皇室より寄贈された美術品等が公開されています。
大手門から中雀門までは、大名が城内に入る際の登城路にあたります。実際に歩いてみると、大部分は高くそびえる石垣に囲まれた坂道で、大名はわずかばかりの供を連れていくつもの門や番所をとおらなければならず、登城路それ自体が幕府の権力を見せ付けるための仕掛けであったとわかります。

http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html
○三の丸尚蔵館
http://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/sannomaru.h

皇居東御苑の略図

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大手門

旧江戸城の正門で、大名はここから登城していました。大手門の高麗門をくぐって中に入ると、枡形と呼ばれる四角く囲まれた広場になっています。この枡形は、敵が城内にまっすぐに侵入するのを防ぐとともに、攻撃の際には兵の集合場所にもなる施設で、周囲の白壁には「狭間」という銃を撃つための穴があります。江戸城の城門の多くは、この形式でした。

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同心番所(どうしんばんしょ)

higasi005.JPG 皇居東御苑 同心番所

「番所」とは、警備の詰所のことで、この同心番所と百人番所、大番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。

江戸城の正門であった大手門から入城した大名が最初に通る番所で,与力,同心が詰めて警護にあたっていたところです。主として登城する大名の供の監視に当たっていました。

百人番所(ひゃくにんばんしょ)

higasi006.JPG 皇居東御苑 百人番所

江戸城の正門だった大手門から,本丸に入るときの最大の検問所で、大手三之門の前に設けられたのがこの百人番所で,甲賀組,根来(ねごろ)組,伊賀組,二十五騎組の4組が昼夜交代で護りを固めていました。

各組には,同心百人ずつが配属されていたところから百人番所の名が生まれました。

大番所(おおばんしょ)

koukyo077.JPG 皇居東御苑 大番所

中之門の内側に設けられ他の番所より格上で,位の高い与力,同心が詰めて警護にあたっていたところです。前の坂を上がったところが本丸の入り口で、中雀門がありました。

koukyo081.JPG 皇居東御苑 中雀門koukyo082.JPG 皇居東御苑 中雀門跡

本丸中之門石垣(ほまるなかのもんいしがき)

koukyo076.JPG 皇居東御苑 中之門跡

明暦3年(1657年)の大火以前の中之門の遺構が出土しました。現在の中之門は万治元年(1658年)に熊本藩主 細川綱利により再構築されました。

本丸中之門石垣の築石は、35トン前後の重量を持つ、江戸城内でも最大級の巨石が使用され、布積みという技法で積まれています。また、この中之門石垣には、本丸御殿への登城口として渡櫓門が配置されていました。

特別史跡「江戸城跡」に指定されている皇居内の石垣の「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から平成19年3月にかけて行われました。
修復は、文化財調査を行いながら、石垣を変形前の形状に復元することを目標にし、三次元レーザ測量から築石一石ごとの立体モデルを作成し、コンピュータ画面上で、石垣創建当時の線形を推定しました。さらに技術的検討を加え、石垣修復計画を立て、行われました。

中之門石垣解体に伴い、築石同士を連結する銅製の「契り(ちぎり)」や築石の据付に使用した銅製・鉄製の「敷金」など様々な遺物が出土しました。

石垣構造としては大変珍しい大鎹(おおかすがい)が出土しました。これは築石の転倒防止のため築石裏側に設置された石と連結した補強材で特異な構造です。

koukyo071b.JPG 皇居東御苑 中之門石垣 遺物1koukyo071a.JPG 皇居東御苑 中之門石垣 遺物2koukyo072a.JPG 皇居東御苑 中之門石垣 遺物3koukyo072b.JPG 皇居東御苑 中之門石垣 遺物4

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タラヨウ(モチノキ科)

葉の裏に字が書けてハガキの様に郵送できる。

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キチジョウソウ(吉祥草)ユリ科

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富士見櫓(ふじみやぐら)

窓明館」を出て左側に上がっていくと、右手に立派な石垣と大きな櫓が見えてきます。
江戸城旧本丸の東南隅に位置する「富士見櫓」で、品川の海や富士山をご覧になったといわれています。現存の三重櫓は、万治2年(1659年)の再建で、江戸城本丸の遺構として貴重な存在といわれています。

天守閣が明暦3年(1657年)の大火で焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。どこから見ても同じ形にみえるために、俗に八方正面の櫓とも呼ばれ、特に石垣上にせり出している石落し仕掛けのある南面の屋根が描く曲線はとても優美です。
koukyo024.JPG 皇居 富士見櫓

石垣は主に伊豆の自然石でこのあたりの石垣の積み方は初期の打ち込みはぎで「野づら積み」というもので、自然石をそのまま積んでいるため、乱雑ですき間が多く崩れそうですが、積み方としては水はけもよく最も堅牢といわれていて、関東大震災でもまったく崩れなかったそうです。そしてこの石垣を作ったのは主に加藤清正公と言われています。
石垣の高さは約14.5メートル、櫓の高さは約15.5メートルになります。
koukyo052.JPG 皇居 富士見櫓アップ

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一人手を広げた樹齢100年で3人囲んでいるので、この木は樹齢300年とガイドさんは言っていました。

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赤と黄色の千両

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松の大廊下跡(まつのおおろうかあと

koukyo090.JPG 皇居東御苑 松の大廊下跡koukyo091a.JPG 皇居東御苑 松の大廊下歌舞伎

忠臣蔵でおなじみの元禄14年(1701年)3月14日赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が殿中で吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなか)への刃傷事件(にんじょうじけん)を起こした場所です。
廊下に沿った襖戸(ふすまど)に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。江戸城で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものでした。

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遠くに、フユザクラが咲いていました。

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富士見多聞

本丸の西側にある茶畑を上がると、鬱蒼とした林の中に「御休憩所前多門」と刻まれた石標があります。御休憩所とは、本丸中奥にある将軍の私的な居間のことで、中奥は将軍が政務を執ったり、日常生活をする場です。
多聞とは、防御と装飾とを兼ねた長屋作りの武器庫で、本丸には十五棟の多聞が有りましたが、現在残っているのは、この富士見多聞だけです。中には鉄砲や弓矢が納められていました。
蓮池濠から富士見多門までの石垣は、高さが約20メートルにもなる長大な石垣で、東・南・西の三面いずれも激しく屈折しています。石垣下と石垣塁壁に取り着いた敵を攻撃する際、死角をなくすための工夫だといわれています。この富士見多聞の内部が2016年11月15日より公開されます

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たちばな

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 天守台

江戸城本丸の一番北側に位置しています。江戸城の天守は、慶長11年(1606)の家康、元和8年(1622)の秀忠、寛永15年(1638)の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、将軍の権力の象徴であったともいえます。

慶長の天守は、現在より南の富士見多聞のあたりに位置していたと考えられます。5層の天守の高さは、国会議事堂とほぼ同じくらいだったといわれています。

元和・寛永の天守は、現在の天守台とほぼ同じ位置にありました。
元和の天守は元和8年(1622)、2代将軍秀忠の本丸改造の際、慶長の天守を撤去して新しく建てたもので、翌9年に完成し、高さは慶長の天守を上回っていたといわれています。「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。

この寛永の天守は、明暦3年(1657)の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれます。これが現在残る天守台ですが、四代将軍綱吉の叔父である保科正之の戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、城下の復興を優先すべきであるとの提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした。現在、東西約41m、南北約45m、高さ11mの石積みが残っています。江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在したのでした。江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在したのでした。

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桃華楽堂

桃華楽堂は、昭和41年2月に完成し収容人員は200名の音楽堂で、音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう)さまの還暦記念として建設されました。

鉄仙の花弁を形どつた屋根と八面体の珍らしい建物で、ホール外壁のモザイク・タイルの図柄は、各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・鶴亀・雪月花・楽の音・松竹梅と八面の正面から左へ順に陶片であしらっています。   img_3587img_3592img_3593img_3594

楽部庁舎

雅楽を演奏する会場があり、且つここで練習しています。朝、二の丸雑木林を歩いていると、雅楽を練習している音色が聞こえます。

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石垣の積み方

石の加工程度による分類

石垣は、加工程度によって、野面積み・打ち込み接ぎ・切り込み接ぎの3つに分けられる。「接ぎ(はぎ)」とは、つなぎ合わせるという意味である。野面積みが最も古い年代に現れた積み方で、次に打込み接ぎ、切込み接ぎの順であるが、切込み接ぎの石垣が現れた以降も野面積みの石垣が見られることもある

野面積み(のづらづみ)

自然石をそのまま積み上げる方法である。加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。技術的に初期の石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀戦国時代のことである。野面積みの一種として穴太積み(あのうづみ)があげられるが、穴太積みは穴太衆が手掛けた石垣であって、特に野面積みの一種をいうものではない。穴太衆の技術の高さを誇示する為に江戸後期以降用いられた呼称である。

打込み接ぎ(うちこみはぎ)

表面に出る石の角や面をたたき、平たくし石同士の接合面に隙間を減らして積み上げる方法である。関ヶ原の戦い以後、この手法が盛んに用いられた。野面積みより高く、急な勾配が可能になる。

切込み接ぎ(きりこみはぎ)

方形に整形した石材を密着させ、積み上げる方法である。慶長5年(1600年)以降、隅石の加工から徐々に平石にまでわたるようになり、江戸時代初期(元和期)以降に多用されるようになった。石材同士が密着しているので排水できないため排水口が設けられる。

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梅林坂の紅葉

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諏訪の茶屋

諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在の御所などのある一帯)にありました。

この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を持っているため、皇居東御苑の整備に当りここに移されました。

img_3615img_3618二の丸庭園

江戸時代、二の丸には、小堀遠州が造り、三代将軍の徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当り、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。

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皇居東御苑の富士見櫓が近くで見れて、富士見多聞が中に入れるようになった。

皇居東御苑を何回となく通っているが、今回、地元、佐倉市民カレッジ同期生を連れて紅葉の東御苑を訪ねた。今回はガイドの説明により案内していただいた。11月に富士見櫓、富士見多聞が公開されたりして、今回の歴史散歩は内容の濃いものとなった。紅葉も最終章を迎え同行された方はいい時に来たと大変喜ばれた。

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

この人が書いた記事

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