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成田・義民佐倉惣五郎を祀る宗吾霊堂を行く!

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宗吾父子が、承応2年(1653年)8月3日受刑され、この地に宗吾様と四人のお子様が合葬されております。

 

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宗吾霊堂略縁起

当山は宗吾霊堂と呼ばれ広く知られていますが、正しくは鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂といいます。境内は木々の緑につつまれ、春の花見に秋の紅葉にと年中人出が絶えません。約10万平方メートルの広さに、年間参詣者は約250万人の人々が訪れる霊場です。
当山の縁起は桓武天皇の時代に、征夷大将軍 坂上 田村麻呂が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派の寺院です。
我が国の代表的義民として有名な佐倉宗吾(本名 木内 惣五郎)様は、今から350年前に佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍 家綱公へ直訴し、その罪により公津ケ原刑場で磔刑(はりつけ)に処せられました。
この時、当山の住僧 澄祐(ちょうゆう)和尚は遺骸を刑場跡に埋葬されました。現在のお墓がそれで惣五郎様の処刑後、佐倉藩はその失政を悔い、宝暦2年(1752年)、百回忌の時に堀田 正亮(まさすけ)公は宗吾道閑居士の法号を諡号しました以来、惣五郎様は宗吾様と呼ばれるようになり、寛政3年(1791年)、堀田 正順(まさなり)公は徳満院の院号と石塔一基を寄進しました。

 

文化3年(1804年)には堀田 正時(まさとき)公が惣五郎様の子孫に田高5石を供養田として与えました。
長い間、宗吾様をまつる堂宇の建立は許されませんでしたが、現在は本堂・客殿・霊宝殿・仁王門・鐘楼堂・宗吾様の御生涯を66体の等身大の人形により再現した日本有数の大パノラマ式の宗吾御一代記館等の建造物があり、信仰に参詣に多くの人々の人気を博しています。

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宗吾霊堂について

 

概要

宗吾霊堂は、桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定した際に、戦没者供養のために建立された寺院です。歌舞伎で知られる義民佐倉宗吾は、今から350数年前の承応元年(1652年)に、佐倉藩主暴政のため、凶作と重税に苦しむ農民を救うため、公津村(現在の成田市)の名主の木内惣五郎は、当時禁じられていた四代将軍徳川家綱への直訴を決行し、大勢の農民を救いました。しかし翌年8月に、その罪をとがめられて、木内惣五郎と4人の子供たちは処刑されました。その刑場跡が、現在の東勝寺のある場所といわれています。

 

佐倉惣五郎

佐倉宗吾は慶長十年(1605年)生まれと伝えられています。
公津村の名主であった木内惣五郎は、厳しい年貢に苦しむ農民を救うべく
佐倉藩主に直訴しましたが聞き入れられず、止むなく時の四代将軍家綱が
上野寛永寺に参詣した折に直訴しました。
その訴えは聞き入れられましたが、直訴という大罪を犯した惣五郎は死罪となり、
承応二年(1653年)公津ヶ原の刑場で子供とともに処刑されました。
ただ、事の経緯についてはあまり資料が残っていないため、詳しいことは分かりません。
宝暦二年(1752年)の百回忌に藩主・堀田正亮より「宗吾道閑居士」の法号を与えられ、
以後「佐倉宗吾」と呼ばれるようになりました。
江戸時代中期になってこの話が芝居になって上演されると、「義民・佐倉宗吾」の名は
一気に有名になりました。

ウィキペディア 佐倉惣五郎の項より転載

 

 

宗吾霊堂にご参詣の皆様方より、良く聞かれる質問をまとめました。

Q.こちらのお寺は何宗ですか?
真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)です。総本山は奈良県の長谷寺(はせでら)です。

Q.ご本尊様は何ですか?
真言宗のご本尊は大日如来(だいにちにょらい)ですが、当山では宗吾様をおまつりしています。

Q.このお寺は、何年ぐらい経っていますか?
東勝寺は桓武天皇の時代(奈良後期から平安初期)の創建(そうけん)1,000年以上前です。
現在の場所に移ってからの宗吾霊堂は、約350年です。

Q.お墓はどこですか?処刑された場所はどこですか?
お墓は仁王門を出て左側が墓所です。処刑されたのも、その場所と言われてます。

Q.本堂は出来て何年ぐらい経っていますか?
大正10年に建てられました。約100年経っています。
仁王門は約30年前です。

 

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御待夜祭り

年配の方だったら誰もが知っている佐倉宗吾は本名を木内惣五郎といい、公津村(成田市公津)の名主総代でした。
宗吾は凶作と重税に苦しむ農民のため、承応元年(1652)、江戸に出て将軍への直訴(じきそ)を決行しましたが、直訴ご法度の罪でその場で縄を打たれてしまいました。
翌承応2年、4人の子どもとともに刑場の露と消えて果てました。
しかし佐倉領内389カ村の農民は宗吾の徳を忘れることなく、ひそやかながらお参りが続けられてきたといいます。
その伝統が宗吾霊堂の御待夜祭に引き継がれています。
今でも宗吾の命日の前日である9月2日には宗吾を偲んで通夜のお籠りが行われています。
明治になって廃藩置県が行われ佐倉藩に遠慮することなく、宗吾霊堂で祀られるようになりました。
宗吾霊堂本堂の裏手にある宗吾御一代記館(入場有料)では、義民宗吾の物語を人形ディオラマで展開しています。

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大山門(仁王門)

立派な仁王門です。
昭和53年に再建されたものです。
説明板には仁王門ではなく、「大山門」と書かれていました。

 

 

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慈眼閣

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東勝寺

「東勝寺」は真言宗豊山派の寺院で、正式名称は鳴鐘山東勝寺、
ご本尊は「大日如来」です。この東勝寺は「宗吾霊堂」と呼ばれることが多いようです。
平安時代に坂上田村麻呂が東国を平定した際、戦死者の供養のためのお堂を建てたのが始まりと言われ、“東国に勝利した”という意味で「東勝寺」となりました。

『中興第1世澄祐が1662(寛文2)年から境内の整備を行い、1668年までに本堂などの諸堂伽藍を建立した。1767(明治14)年に大和国の長谷寺と京都の智積院から、常法談所の寺格を与えられている。談所(檀林)とは法談を催すことができる有力寺院のことである。』(「成田の地名と歴史」2011年成田市発行)

大正10年に「宗吾供養堂」を再建することになった時、この地に東勝寺も移転してきました。

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別格本山「宗吾霊堂」

義民・佐倉宗吾(木内惣五郎)を祀るお堂で、宗吾の霊像をご本尊としています。明治8年に再建されたお堂が焼失した後、現在のお堂は大正2年に再建されました。

 

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奥之院

ご本尊として大仏師 松本 明慶氏による慈愛に満ちあふれた「十一面観世音菩薩」をご安置しております。奥之院は、宗吾様の菩提に感謝の誠とご供養を捧げると共に、永きに亘り当山を支えていただいた御信徒・御檀家の皆様方の恩に報い菩提を弔うためのお堂として、宗吾霊350年祭記念事業において多くの皆様方のご寄進のもとに平成14年8月に建立されたものです。

「多くの人々を見守り続けたい」宗吾様の願いは350年を経た現在においても色あせることなく、多くの御信縁の皆様方の胸の奥に脈々と伝えられております。

皆様方のご先祖様をはじめとして子々孫々に至るまで、宗吾様のご霊徳に見守られますよう奥之院に「永代供養位牌」をご安置いただき、ご供養をお受けになられますようご案内申上げます。

 

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境内の右奥には明治44年に建立された「薬師瑠璃光如来」を祀る「薬師堂」があり、
その隣には「歓喜天」を祀る「聖天堂」があります。

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聖天堂

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矢印の先に宗吾御一代記館がある。

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菊花展開催中

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今回は、佐倉市民カレッジ19期生の仲間と、グランドゴルフをして、ゴルフ場の敷地内の「錦谷」でランチを食べて、宗吾霊堂に向かった。

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ゴルフ場敷地内に咲いていた、コスモス。

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宗吾霊堂で合掌

佐倉市に居住しているので、宗吾霊堂は何回となく来ているが、今回は、写真を撮るために宗吾霊堂の境内を歩き回った。宗吾とともに処刑された4人の子供が合葬されている墓で合掌していると、時代とは言え、子供まで処刑されるとは何んとも痛ましいと、涙が出てきます。

 

 

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ライター紹介

Tokkyna

千葉県佐倉市在住
東京都江戸川区小岩出身

趣味:古地図による散策(特に裏道が大好き)
    LCCによる全国歴史探訪(特に城壁のそりが大好き)

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