- 学名
- Ipomoea tricolor
- 科・属名
- ヒルガオ科サツマイモ属
- 英名
- Morning glory
- 原産地
- 熱帯アメリカ
- 開花期
- 9~11月
- 花の色
- 青、赤、白、紫
- 別名
- ソライロアサガオ、セイヨウアサガオ
Contents
①墨名駐車場⇒②勝浦朝市⇒③高照寺⇒④覚翁寺⇒⑤松の家旅館⇒⑥本行寺⇒⑦遠見岬神社(八幡岬公園入り口・トイレ前)⇒⑧八幡岬(お万の像)⇒⑨八幡岬公園⇒⑩与謝野晶子歌碑⇒⑪勝浦灯台⇒⑫官軍塚⇒⑬川津港⇒⑭津慶寺⇒⑮墨名駐車場
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朝市が始まったのは天正19年(1591年)。卯の年に開かれたといわれ、当時の勝浦城主であった植村土佐守泰忠(うえむらとさのかみやすただ)が農業・漁業の奨励とともに、勝浦根古屋(町の中心となるところ)でのみ農水産物の交換の場として開設したものと伝えられています。
当時は365日、いかなる天候でも朝市が開かれ、10日を区切りとして上本町・仲本町・下本町と場所を移動して開かれ、出店のために背負い篭・手車・大八車・馬車や牛車を使い、多くの品物を運んでいたようです。
時代とともに勝浦は、にわかに発展しはじめ、その様子は「勝浦三町江戸勝り」(三町とは現在の上本町・仲本町・下本町)といわれたといいます。
昭和30年代中頃からの自動車交通量の増加に伴い、場所を仲本町通りだけとした時期もありましたが、昭和62年11月から1日~15日までを「下本町通り」、16日~月末までを「仲本町通り」と分けて開くことになりました。
市内商店街の休日にあわせ毎週水曜日と年始を休みとして現在にいたり、今でもおよそ70軒の店が立ち並んでいます。出店時間は、午前6時頃から11時頃までです。
県指定の大イチョウの枝から乳房のようなものが約60本垂れ下がり、別名「乳イチョウ」と呼ばれ、女性の参拝者が多い。朝市発祥の地としての標柱がある。高照寺
高照寺境内の墓地にあるイチョウの奇樹で大きな乳柱が多く発生しているために乳公孫樹といわれています。百年ほど前の勝浦火災のとき、主幹の上部が枯損し樹高は10m余りですが樹冠は大きく広がりホーキ状になっています。大小合わせて100以上の乳房が垂れ下がっているといわれています。
高照寺の古文書は大火の折り消失してしまったため樹齢は分かりません。
ただ、昭和初期に著名な植物学者牧野富太郎博士が訪れ、「千年の年輪を数えるか」といわしめ、また、わが国において天然記念物の貢献者三好学博士も大正13年に実査し乳柱の多いことを称えています。
本樹にまつわる寺伝では「千余年の昔、一聖僧この地で法華経読誦により里人の乳不足で悩める婦人を治し乳飲み子の成長を容易にしたという。僧の死後里人、徳を偲び墓上にイチョウを一樹植えたところ、成長するにつれ乳柱を生じて乳汁不足の者は来り詣で、これを治すに効能顕著なり」と記されています。
乳公孫樹は県指定天然記念物になっています
勝浦朝市の歴史を示す定書が奉納されていて、勝浦藩主であった植村家の菩提寺。寛永11年(1634年)勝浦城主植村泰勝が死去した時、勝浦城内にあった浄林寺をここに移し、泰勝の幼名覚翁丸をとって出水山覚翁寺としたという。
境内には植村氏三代泰朝、四代忠朝、五代正朝の墓宝筺印塔(ほうきょういんとう)があり、市指定文化財となっています。また、本堂には江戸彫刻の名人といわれている通称・波の伊八(武志伊八郎信由)の欄間が残されています。
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市指定文化財。暦応2年(1339年)日続によって真言宗から日蓮宗に改められたと伝えられています。享保8年(1723年)の五十座に際し、池上本門寺より日蓮上人の御歯骨が分与され厨子に奉安されています。
日蓮宗寺院の多い千葉県にあっても重層建築の釈迦堂は珍しいといわれています。日蓮上人の御歯骨を奉安するため建てたところから、舎利塔の意も含んで重層としたのではないかと考えられています。三間堂で重層方形造り桟瓦葺で棟上に擬宝珠をのせています。上層には唐様式も加味され、整った美しい建物となっています。
江戸時代までは富大明神と称し、はじめ八幡岬突端富貴島にあったといわれています。が、慶長6年(1601年)の津波で流され、宮ノ谷に再建、さらに万治2年(1659年)現在の場所に建立されました。
明治4年新政府の社格制度の発令で天富命(あめのとみのみこと)を祭神とし郷社に選定されました。
現在の社殿は嘉永2年(1849年)に造営されたものです。
祭礼は毎年9月望の日に祭礼を行っていましたが、明治44年(1911年)より9月13日に改められました。勝浦市街を見下ろすように、うっそうとした樹木が繁茂し森厳な雰囲気漂う古社です。
勝浦湾の東側に突き出た細長い半島。三方を海で囲まれた要害であるこの地には、勝浦城があった。徳川家康の側室で、水戸光圀の祖母にあたるお万の方の像が立ち、城址周辺は公園となっています。
住所:勝浦市浜勝浦
アクセス:JR勝浦駅より車で10分
駐車場:30台
トイレ:あり
敷地内施設:ベンチ・東屋・アスレチック・遊具あり。一部車いすでの入園可能
問い合わせ先:勝浦市観光協会0470-73-1658
八幡岬の先端三方海に臨んだ断崖に勝浦城址があります。築城時期については様々な伝承がありますが、城郭の形態をなしたのは、正木時忠からではないかと考えられます。それ以前は真里谷武田氏の出城か砦であったと考えられます。正木時忠がいつ侵攻してきたのかは不明ですがおおよそ天文8年(1539年)から天文10年(1541年)にかけてではないかと考えられています。
正木氏は時忠から時通・頼忠と続きますがが天正18年(1590年)小田原落城により関東が徳川家康の支配下に置かれるとほどなく植村泰忠に接収されることになります。現在、郭内、木戸脇、内宿、二のくら(廓)、三のくらなどの地名は残っていますが廓跡も八幡岬公園として生まれ変わり、お万の方の銅像が青い太平洋を見つめています。
徳川家康の側室で徳川御三家のうち紀州(頼宣)、水戸(頼房)2児の母養珠夫人であったお万の方は、天正5年(1577年)勝浦城主正木頼忠の姫君として生まれました。
14歳の時、勝浦城が落城し、その際、幼い弟と母を連れて八幡岬の東側約40mの断崖に白い布を垂らして海に下り小船で館山方面へ逃れたという故事にちなみ、ここを「お万の布さらし」と呼び後世に伝えています。
t八幡岬公園の海を臨む小高いところに、このお万の方の像が立っています。
八幡岬の先端三方海に臨んだ断崖に勝浦城址があります。築城時期については様々な伝承がありますが、城郭の形態をなしたのは、正木時忠からではないかと考えられます。それ以前は真里谷武田氏の出城か砦であったと考えられます。正木時忠がいつ侵攻してきたのかは不明ですがおおよそ天文8年(1539年)から天文10年(1541年)にかけてではないかと考えられています。
正木氏は時忠から時通・頼忠と続きますがが天正18年(1590年)小田原落城により関東が徳川家康の支配下に置かれるとほどなく植村泰忠に接収されることになります。
現在、郭内、木戸脇、内宿、二のくら(廓)、三のくらなどの地名は残っていますが廓跡も八幡岬公園として生まれ変わり、お万の方の銅像が青い太平洋を見つめています。
西洋朝顔
大正6年2月、海抜70メートルの「ひらめヶ丘」に建設。燈高21メートル、光度14万燭光。丘から見る日の出は圧巻です。
住所:勝浦市川津
アクセス:JR勝浦駅から車で15分
駐車場:なし
敷地内施設:灯台前に富安風生の句碑
問い合わせ先:勝浦市観光協会0470-73-1658
戊辰戦争の末期、函館五稜郭に向かう熊本藩船が市内川津沖で難破し、130数人の死者を埋葬供養した場所です。
住所:勝浦市川津1394
HP:http://www.city.katsuura.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=29183
アクセス:JR勝浦駅から車で10分
駐車場:30台
トイレ:あり(車いす用トイレあり)
敷地内施設:展望台・東屋・芝生スペース・中村汀女の句碑・斉藤茂吉の歌碑
問い合わせ先:勝浦市観光協会0470-73-1658
戊辰の役で旧幕府の海軍副総督榎本武揚は、北海道函館の五稜郭に拠って官軍に抵抗し、維新政府から鎮圧を命ぜられた津軽藩も容易に平定できませんでした。津軽藩は藩主の実兄が熊本藩主であった縁故を頼り、肥後に援助を要請しました。
明治2年2月12日(旧歴1月2日)援軍は米国汽船ハーマン号を雇って隊長、寺尾九郎右衛門の指揮す る肥後十二番大隊、重士隊、大砲隊、五番隊、十四番隊など三百五十人が乗船、北海道に向かいました。しかし、翌日夜川津沖の岩礁地で漁師仲間が俗に「関東の鬼ヶ島」と呼ぶ難所で、大暴風雨に遭い難破してしまいました。
川津の住民は救助活動にあたりましたが200人以上の犠牲者を出してしまいました。この遭難者を埋葬、供養したのが官軍塚です。
『上総五十座』とは天文19年(1550年)大本山 池上 本門寺の日現上人が祖師堂の復興、法華経の教えを弘めるため勝浦 本行寺で200余日のご説法を行いました。その後、その遺志を継いだ日惺上人が本行寺において1日1座50日間のご説法を行いました。これが上総五十座の始まりです。
465年過ぎた今も、勝浦市の7つの寺院で輪番に行い、宗門で著名な説者がご説法されます。
また、五十座には欠かせない各寺檀家の派手やかな着物をまとった『お題目踊り』も法要に花をそえます。
千葉県佐倉市の京成臼井駅近くからバス6台を連ねて、佐倉市民ハイキング特別例会で、房州勝浦へハイキングに行った。総勢280名。この特別ハイキングは、例月第二日曜日の定例会の他に、年1回10月にバスで現地まで行ってハイキングを行っているもので、今回10回目なので10年間続いているイベントだ。勝浦へは、鯛ノ浦、海中公園等へは行ったことがあるが、ハイキングとして太平洋を眺めながら歩くのは初めてであったが、天気も良く、どこまでも青い海を見ながらのハイキングを十分満喫した。